ソ連側の対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/29 13:27 UTC 版)
7月中の戦車への肉薄攻撃という戦訓を取り入れ、8月以降のソ連軍の陣地に対する戦車の投入には改善が行われた。砲兵の砲撃によって打撃を加えた後に戦車・歩兵を結合した戦力を投入する。まず歩兵が前進し、この後方に戦車を置く。戦車砲の火力支援のもとに歩兵が推進し、手榴弾を大量に陣地へ投擲した。さらに火炎放射戦車により塹壕陣地に攻撃を加える。日本側の反撃を制圧するまでこれを繰り返し、最後に歩兵が陣地へ突入する。ここでは戦車を直接陣地に接近させて突破を試みる従来の単独攻撃を改め、戦車を塹壕陣地から遠ざけ、歩兵と戦車の共同作戦をとっている。さらに、後方の砲兵、前線の歩兵、歩兵後背の戦車という重層的な攻撃への変化が見られる。 また戦車を縦深配置することでも肉薄攻撃は防止された。8月以降、2個梯団隊形をとり、前方の戦車隊が日本側の兵力を発見し、後方の戦車隊が攻撃することで、日本側の火焔瓶、地雷などの肉薄攻撃による被害はほとんど無くなった。戦車に最大の損害を与えたのは日本の九四式三七粍砲であった。ソ連側資料では火焔瓶による肉薄攻撃はあまり効果的ではないと指摘している。小隊において戦車を前に3輌、後方に2輌を配置するチェス隊形も同様の効果をもたらした。
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