戦後の独立志向から東ドイツへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/30 02:47 UTC 版)
「ソルブ人」の記事における「戦後の独立志向から東ドイツへ」の解説
1945年、第二次世界大戦でドイツが敗北し、全土が連合国軍に占領されると、ラウジッツはドイツの一部としてソヴィエト連邦の軍政下に入った。プラハで組織されたラウジッツ・ソルブ民族評議会は、これを機にチェコスロヴァキアの保護による独立を目指したが、ソ連が旧ドイツ領内でのソルブ国家の樹立を望まなかったため実現しなかった。ただし、ソ連占領下でソルブ人の状況は改善され、1945年にドモヴィナの再建、1947年にソルブ語新聞の復刊が行われ、1948年にはブディシン(ドイツ語ではバウツェン)に高等教育の準備期間となるソルブ語の文法学校(グラマースクール)が設立された。 1949年にソ連の支援で成立したドイツ民主共和国(東ドイツ)も、国内のスラヴ系少数民族であるソルブ人の文化保護に力を入れた。1951年には東ドイツのベルリン・ドイツ科学アカデミーとライプツィヒ大学でソルブ文化研究が開始された。1956年、急速な工業化に反対する反政府デモがラウジッツで発生しても、ソルブ人の社会や文化には影響を与えなかった。1968年に改正された東ドイツ憲法の第40条には「ソルビア民族に属するドイツ民主共和国の市民は、その母語及び文化を育成する権利を有する」と規定されていた。
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