戦後の滑空界との関わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 02:31 UTC 版)
島本真は、父・敬一が二宮忠八の飛行機会の評議員として助勢していた経緯もあったが、空を飛ぶ飛行機であるがゆえに、墜落事故の絶滅は永遠のテーマであり、航空界の発展を願い進める立場の者が忘れてはならない課題であるとの考えを父親と共に共有し、二宮忠八が自費で航空機事故による犠牲者の慰霊のため、自ら神主となり建立された京都府八幡市の飛行神社に『泉州航空神社 奉賛会会員』として毎年必ず参拝し、航空機の安全、航空事故被災犠牲者の慰霊を続けていた。この参拝にはもう一つの意味があり、父・敬一が、二宮忠八翁が描いた直筆『からす型機発明』の掛け軸を、京都府八幡市の飛行神社で二宮忠八翁未亡人より拝受した。その掛け軸は息子真に引き継がれ、爾来航空神社への参拝を欠かさなくなった。 この二宮忠八翁直筆の掛け軸『からす型機発明』の図は、島本真より泉州航空神社へと奉納されたが、公開されることなく大切に宮司本宅の書棚に保管されている。
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