戦後の独自運行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/05 17:59 UTC 版)
湧別町営バスには、民間事業者の路線が無かったために民間事業者と同じ一般乗合旅客自動車運送事業で運行したバスが存在した。 戦前は現在の北海道北見バス遠軽営業所の前身となる遠軽乗合自動車合資会社、さらなる前身会社である湧別乗合合資会社および遠佐自動車合資会社によって湧別 - 上湧別や芭露 - 遠軽などが運行されていたが、北海道における旅客自動車運輸事業統合要綱による北見乗合自動車への統合以降は、鉄道並行であることや物資不足などからほとんど運行されることは無く、1944年(昭和19年)に休止された。 戦後、湧別市街地付近では1946年(昭和21年)に運行再開したものの芭露方面は再開されなかったため、町が独自に東芭露線(湧別 - 東芭露)と若佐線(湧別 - 若佐)を運行した。担当者の尽力によって冬期間の運休もほとんど無く、民間事業者の運行でも採算が取れる目処が付いたことから1957年(昭和32年)に北紋バスへ譲渡し、町営バス業務は一旦終了となった。
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