戦後の玉の井
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/05 14:05 UTC 版)
終戦後の玉の井は焼け残った地域に移り(焼失前の位置は寺島町五丁目、六丁目、現在の東向島五丁目、六丁目の一部。戦災後の位置は寺島町七丁目、現在の墨田三丁目の一部)、営業が続けられた。場所が移ったこと等から戦後の玉の井を新玉の井ということもある。また、一部の店は1キロほど離れた場所に作られた「鳩の街」に移転した。銘酒屋街は警察の指導により、「カフェー」風の店に改めさせられ、いわゆる赤線地帯となった。 吉行淳之介は、戦後の玉の井も、鳩の街など他の赤線地帯とは違った独特の風情があり、その記憶は滝田ゆうの作品につながると書いている(滝田ゆう「寺島町奇譚」解説)。 売春防止法施行後は、この地区に娼家はなくなり、ほとんどは商店や住宅が建ち並び、一部に町工場のある東京の普通の下町となった。多少、飲み屋やバーがある程度で、吉原のように歓楽街にはならなかった。だが、赤線廃止後何年かは、娼家はなくなったのにもかかわらず、まだ営業している店があると思い込み、この街を訪ねてくる男たちが絶えなかったという。 小説『濹東綺譚』や『いやな感じ』の初めに登場する、東向島広小路付近の東武伊勢崎線の踏切も、昭和40年代初めに、この付近の線路が高架化されたことにより、水戸街道(国道6号線)を跨ぐガードとなった。この踏切の近くで、前記の2小説の主人公がタクシーを降りる場面がある。 現在でも、戦災で焼け残った地区(新玉の井、現在の墨田三丁目付近)に昔の面影のあるカフェー風の建物、銘酒屋風や色タイルを貼った建物等が残っているが、それらも改修や老朽化に伴う建て替えにより少なくなってきている。ただ、密集した街の中を入り組んで通る細い街路だけは、ほぼ昔のまま残っている。
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