戦後の混乱と占領軍による鉄道管理とは? わかりやすく解説

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戦後の混乱と占領軍による鉄道管理

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 15:22 UTC 版)

日本の鉄道史」の記事における「戦後の混乱と占領軍による鉄道管理」の解説

1945年8月14日日本ポツダム宣言受諾決定し中立国通じて連合国側通告した。この日以後 陸海軍武装解除される鉄道軍需輸送役目終えたが、休む暇なく武装解除された多数軍人や、都市への空襲避けて田舎疎開していた人たちを故郷へ送り返す役目始まった終戦直後大都市食料等の物資極度に不足し人々鉄道使って郊外買出しに出かけた。しかし戦時中充分なメンテナンスをされずに酷使され施設車両人員によって運転され列車は、常時には考えられないような事故多発し多数乗客犠牲になった1945年8月22日肥薩線列車退行事故復員軍人多数載せた列車蒸気機関車出力不足でトンネル内の上り坂で立ち往生。煙による窒息恐れて機関士列車バックさせたが、息苦しさから客車から降りてトンネル内を歩いて逃げていた乗客巻き込んだ死者45名。 1945年8月24日八高線列車正面衝突事故買出し多数載せた旅客列車同士多摩川橋梁上で正面衝突し両方とも川に転落死者100人以上。 1945年9月6日中央本線 中央線笹子駅構内脱線転覆事故笹子駅列車車止め突破して転覆し死者60名。 その他東海道本線醒ヶ井駅付近走行中のD52形蒸気機関車ボイラーが突然爆発した事故や、古いブレーキホースが破損して発生した近鉄生駒トンネルノーブレーキ事故死者49名)などの大事故続発した。また戦後蒸気機関車燃料である石炭極度に不足したため、乗客増えているのに1947年まで度々列車大幅な削減実行された。その結果 旅客車は大混雑した当時写真では客車デッキぶら下がった貨車の上載った乗客写っている。そのような状況下でアメリカ軍日本進駐し、鉄道全般について占領軍による管理始まった占領軍方針として鉄道修復優先し新車製造抑えた。そこで不足している旅客用蒸気機関車賄うため、戦時中大量生産され戦後余り気味となった貨物用機関車改造した機関車製造された(例D51形C61形D52形C62形)。

※この「戦後の混乱と占領軍による鉄道管理」の解説は、「日本の鉄道史」の解説の一部です。
「戦後の混乱と占領軍による鉄道管理」を含む「日本の鉄道史」の記事については、「日本の鉄道史」の概要を参照ください。

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