文化保護
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:40 UTC 版)
1934年に朝鮮総督府は李氏朝鮮の主な文化財の保護のための総督府令を出している。国宝に指定されたものには南大門などが含まれていた。日本人学者とその朝鮮人の弟子達によって歴史・語学・文学などの韓国学研究の基礎が作られた。 日中戦争の長期化による物資欠乏への対策や情報統制の必要から日本内地では1938年4月に国家総動員法が制定され、8月からの新聞用紙制限令による用紙制限や新聞の整理統合を通じ、739紙あった新聞を最終的に54紙にまで削減するなど、新聞紙法や出版法を厳しく適用しながら新聞・出版・言論統制を強めた。朝鮮においても、1940年には「朝鮮日報」「東亜日報」が総督府命令により廃刊となり、朝鮮語新聞は総督府が発行する毎日新報と官報だけとなったが、硫黄島の戦いにおける日本軍の玉砕は朝鮮語でも報じられた。
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