朝鮮共産党北部朝鮮分局
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 15:43 UTC 版)
「朝鮮共産党」の記事における「朝鮮共産党北部朝鮮分局」の解説
朝鮮半島北部にはソ連軍が進駐し、社会主義者を利用した占領統治を行った。再建されたソウルの党中央と連絡をもつ党組織も再建されたが、北半部では北部のみの中央組織が必要とする主張が生まれた。国内派が南北一体の組織維持を主張したのに対し、ソ連派・満洲派およびソ連軍政当局が北部独自組織の設立を主張したと考えられている。1945年10月13日(10日との説もある)に開催された「西北5道党責任者熱誠者大会」において「朝鮮共産党北部朝鮮分局」(第一書記:金鎔範。「北朝鮮分局」と記されることもある)の設置が決議された。分局は党中央の承認を経て10月23日に平壌に設置されることとなり、ここにおいて事実上、朝鮮共産党の組織は南北に分かれた。 なお、現在の北朝鮮の朝鮮労働党は1945年10月10日を創建記念日としている。「朝鮮共産党北部朝鮮分局」の設置によるソウルの組織からの分離に党の起源を求めていることになる。
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