北朝鮮建国前後の政治活動
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1945年8月15日、第二次世界大戦に日本が敗れて朝鮮が解放されると、12月13日に金枓奉は帰国して平壌へ赴いた。1946年2月8日、初の中央行政機関である北朝鮮臨時人民委員会が樹立されると、ソ連から帰国した金日成が委員長に、金枓奉が副委員長に就任した。同年2月16日、延安で行動を共にした共産主義運動家とともに朝鮮新民党を結成。同年8月28日に朝鮮共産党北部朝鮮分局と朝鮮新民党が合併して北朝鮮労働党が成立すると、金枓奉は党中央委員会委員長に選出された。しかし党の実権は、副委員長の金日成(旧朝鮮共産党北部朝鮮分局責任書記)が掌握した。 1948年4月の南北協商会談では金日成とともに北側代表として参加し、南側代表の金九、金奎植と会談した。同年、9月8日、第1期最高人民会議が招集され、金枓奉は最高人民会議常任委員長に選出された。翌日、朝鮮民主主義人民共和国の建国が宣言されると、金枓奉は憲法の規定により、最高人民会議常任委員長として同国の国家元首となった。ただし、最高人民会議常任委員長が果たす国家元首としての権能は儀礼的なものが中心であり、首相である金日成が国政の最高責任者として実権を掌握した。1949年6月30日、北朝鮮労働党が朴憲永率いる南朝鮮労働党を吸収し、朝鮮民主主義人民共和国の指導政党である朝鮮労働党に改組されると、金日成が党中央委員会委員長となり、金枓奉は党副委員長となった。
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