国家元首として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/06 17:14 UTC 版)
「ルーホッラー・ホメイニー」の記事における「国家元首として」の解説
新政権は、その発足直後からイランアメリカ大使館人質事件やイラン・イラク戦争などの外交危機や戦争、バニーサドル大統領と議会多数党のイスラム共和党の対立など、さまざまな危機的状況にもまれたが、革命イランの最高指導者としてホメイニーは、諸政策に強い影響力をもった。ホメイニーは政治・司法・文化をイスラムに基づいて構築し直すことを目指したが、当初はある程度は現実にあわせたイスラムを考えて改革的な政策も施行していた。 ホメイニーは、革命中はかつてのシーア派イマームたちの殉教を「被抑圧者(モスタズアフィーン)」の抵抗の象徴とし、皇帝の独裁に対抗するシーア派社会主義の理念を取り入れ、この革命を「イスラームに基づく被抑圧者解放」と主張した。この主張によってホメイニーは、元来社会主義の支持者だった貧困層や世俗的中産階級からも支持を取り付け、革命を達成した。 しかし革命達成後は一転して、世俗主義者や社会主義者を「イスラームの敵(カーフィル)」として弾圧するなど、事実上の宗教独裁体制を敷いた。さらに1988年に発表された、イギリスの作家サルマン・ラシュディがムハンマドの生涯を題材に書いた小説『悪魔の詩』を「冒涜的」だとして、1989年2月14日に著者のラシュディ、及び発行に関わった者などに対して死刑を宣言するなど、強権的な姿勢をさらに強め、イスラム教国を含む世界各国から強い反発を招いた(日本語訳者が殺害されたが未解決)。
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