国家元首/政府の長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 07:45 UTC 版)
「アイルランド共和国 (1919-1922)」の記事における「国家元首/政府の長」の解説
当初は共和主義者と君主制支持者の間で意見が分かれていたこともあり、アイルランド共和国には国家元首がいなかった。共和国の指導者は当初、「プリオム・エール」と呼ばれており、これは「首相」(prime minister)という意味であったが、憲法の英語版では「内閣の長」(President of the Ministry)と呼ばれていた。同職を指すため、のちに英語の職名として「ドイル・エアラン議長」(President of Dáil Éireann)という言い方が用いられるようになり、とくにエイモン・デ・ヴァレラ大統領がアメリカ合衆国を訪問した際はこれが使用された。1921年8月26日、デ・ヴァレラはドイルに自分を新しい職「共和国大統領」(President of the Republic)に指名させた。これは、来る条約交渉でデ・ヴァレラが国家元首とみなされるようするためであった。アイルランド側の考えとしては交渉は2つの主権国家の間で行われるものであって、英国が考えているように英国政府と地方の政治家の間で行われるものではなく、この任命はそのことを主張するためであった。デ・ヴァレラが1922年1月に辞職した後は、後継者としてアーサー・グリフィスやウィリアム・コスグレイヴが「ドイル・エアラン議長」を名乗った。
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