スペインにおけるカウディーリョ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/11 09:18 UTC 版)
「カウディーリョ」の記事における「スペインにおけるカウディーリョ」の解説
スペイン内戦において反乱軍を指揮したフランシスコ・フランコは、1936年10月1日、反乱軍の総帥(Generalísimo、ヘネラリッシモ)に指名されるとともに、反乱軍側の国家元首(Jefe de Estado、ヘーフェ・デ・エスタード)に就任した。その際、フランコは広報宣伝用に、国家元首としての特別な呼称を考えた。そこで採用されたのが「カウディーリョ」であった。フランコは自身の称号を「エル・カウディーリョ・デ・エスパーニャ」 (El Caudillo de España) とした。これはアドルフ・ヒトラーの「フューラー」、ベニート・ムッソリーニの「ドゥーチェ」に相当するもので、多少ともファシズムの影響を受けた使用方法であったとみられている。この場合、フランコが称した「カウディーリョ」は、日本では「総統」と訳される。その後フランコは、1939年4月1日、内乱に勝利して正式にスペインの国家元首の地位に就く。1975年11月20日に死去するまでその地位にあり、総統(El Caudillo、エル・カウディーリョ)と称し続けた。
※この「スペインにおけるカウディーリョ」の解説は、「カウディーリョ」の解説の一部です。
「スペインにおけるカウディーリョ」を含む「カウディーリョ」の記事については、「カウディーリョ」の概要を参照ください。
- スペインにおけるカウディーリョのページへのリンク