スペインによるサルデーニャ征服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/07 17:08 UTC 版)
「スペインによるサルデーニャ侵攻」の記事における「スペインによるサルデーニャ征服」の解説
スペインの遠征軍の大半は7月24日にバルセロナを出港、残りは30日に出発した。マリ侯爵(Mari)率いるスペイン艦隊は戦列艦9隻、フリゲート6隻、ガレー船3隻、火船2隻、輸送船と商船合計80隻で構成された。スペイン陸軍の指揮官はレーデ侯爵(英語版)で、歩兵8,500人と騎兵500人を有していた。 8月22日、スペイン軍はサルデーニャ島に上陸、ルビ侯爵率いる守備軍を蹴散らして全土を占領した。この速い勝利はサン・フェリペ侯爵(San Felipe)が島を巡遊し、オーストリア統治に不満を持った住民にスペイン統治に戻るよう呼び掛けたという心理的要因によるところが大きかった。アルゲーロとカステルサルドの要塞、および重要な都市のカリャリのみが抵抗した。しかし、ルビ侯率いるカリャリの守備軍は援軍が来ないこともあって、島の北部へ逃亡し、カリャリは10月4日に落城した。19日、レーデ侯とモンテマール公(英語版)率いるスペイン軍はアルゲーロを包囲し、アルゲーロは25日に降伏した。カステルサルドも30日に落城、スペイン軍は完勝した。
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