スペインによる最初の植民地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/23 14:58 UTC 版)
「カリフォルニア州の歴史」の記事における「スペインによる最初の植民地」の解説
スペインは1519年以降ヌエバ・エスパーニャに多くの伝道所や砦を維持してきた。1542年にはカリフォルニア北部海岸地域の領有を宣言した。ニューメキシコのサンタフェを除き、ヌエバ・エスパーニャ北部の開拓はその後の155年間進まなかった。バハ・カリフォルニア・スルのロレトは1697年に設立されたが、スペイン王カルロス3世治下のスペインがより北部の開発が必要だと感じたのは、1765年にアラスカから下ってきたロシア人毛皮業者とその後に来るであろう開拓者による侵略の脅威があった時だった。この時点でスペイン帝国は七年戦争の政治的後片付けに携わっており、遙か離れたカリフォルニア植民地の優先度はほんのわずかなものだった。アルタ・カリフォルニアにはフランシスコ会の修道僧によって、軍隊に守られたカリフォルニア・ミッションが展開されることになった。1774年と1791年の間、スペイン帝国は多くの遠征隊を派遣し、アルタ・カリフォルニアと太平洋岸北西部の探検と開拓を進めた。
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