朝鮮共産党から朝鮮労働党へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 15:43 UTC 版)
「朝鮮共産党」の記事における「朝鮮共産党から朝鮮労働党へ」の解説
詳細は「南朝鮮労働党」および「北朝鮮労働党」を参照 北半部では1946年5月に北部朝鮮分局が北朝鮮共産党と改称、1946年8月に朝鮮新民党(延安派系の左派政党)と合同して北朝鮮労働党(委員長:金枓奉)となった。また、ソウルの朝鮮共産党も1946年11月に南朝鮮新民党・朝鮮人民党と合同し、南朝鮮労働党(委員長:許憲)として再編された。 その後、朝鮮半島南半部では反共主義から共産主義者の活動に対する弾圧がおこなわれ、朝鮮労働党の活動は困難になった。党の主要幹部らは越北し、朴憲永も平壌から党を指導することとなった。1949年6月30日に南朝鮮労働党と北朝鮮労働党は合同(実質的に北朝鮮労働党による南朝鮮労働党の吸収)、朝鮮労働党(委員長:金日成)が結成される。
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