朝鮮共産党の再建とは? わかりやすく解説

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朝鮮共産党の再建

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 15:43 UTC 版)

朝鮮共産党」の記事における「朝鮮共産党の再建」の解説

1945年8月15日日本の敗戦により朝鮮は「解放」を迎えた解放後初めて「朝鮮共産党」を称する組織作ったのは、元共産党員李英朝鮮語版)・鄭李承燁らで、8月16日ソウル市内の長安ビル」において朝鮮共産党結成宣言し李英責任秘書とした。このグループを「長安派」と呼ぶ。 戦時期に潜伏していた朴憲永は、ソウル姿を現す朝鮮共産党再建準備委員会結成したここから朴憲永グループを「再建派」と呼ぶ。長安派は朴憲永指導者に迎えようとしたが朴憲永拒絶長安共産党正統性認めず解散要求した結局長安共産党解散し再建派合流することとなった1945年9月11日朝鮮共産党朴憲永のもとで再建されソウル本部を置き、朴憲永が党の総秘書となった再建され朝鮮共産党は、名目上朝鮮全域にわたる組織であり、朝鮮人共産主義者指導する唯一の前衛政党であった。しかし、それまで国外で活動しさまざまな背景を持つ共産主義者たちが次々朝鮮帰国することで事態複雑なものになった中国共産党指導のもと中国本土活動していた「延安派」、ソ連共産党党籍持ちソ連軍とともに入ってきた「ソ連派」、そして金日成満州中国共産党抗日パルチザンでのちソ連軍編入され満州派」などである。これに対し日本統治下の朝鮮とどまり続けた朴憲永らを「国内派」という。北半部を占領統治するソ連意向もまじえ、朝鮮共産主義運動の主導権をめぐる抗争以後繰り広げられることになる。 ソウル朝鮮共産党当面革命段階ブルジョワ民主主義革命規定して民族統一戦線志向し朝鮮人民共和国などの運動にも中心的な役割果たした朝鮮共産党当初米軍政に対して協調的であった1945年12月28日モスクワ三国外相会議米国英国ソ連)で朝鮮信託統治案明らかになると、金九大韓民国臨時政府グループ)ほかの諸党派とともに信託統治反対(反託)で一致するが、1946年1月2日朝鮮共産党突如信託統治支持表明3日三国外相会議決定支持大会開催し、反託の気運の中で混乱失望もたらした

※この「朝鮮共産党の再建」の解説は、「朝鮮共産党」の解説の一部です。
「朝鮮共産党の再建」を含む「朝鮮共産党」の記事については、「朝鮮共産党」の概要を参照ください。

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