朝鮮共産党日本総局とは? わかりやすく解説

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朝鮮共産党日本総局

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 15:43 UTC 版)

朝鮮共産党」の記事における「朝鮮共産党日本総局」の解説

金若水らの北星会(1925年1月一月会に改編)に見られるように、日本においては朝鮮人留学生社会主義運動組織作られていた。 1922年信濃川朝鮮人虐殺事件発覚は、低賃金過酷な環境での労働タコ部屋労働)を強いられた在日朝鮮人労働者状況対す朝鮮人日本人社会主義者関心集めた1922年東京朝鮮労働同盟会が結成される1925年2月には、在日朝鮮人労働団体結集して在日本朝鮮労働総同盟在日朝鮮労総)が結成されている。 第2次朝鮮共産党1926年4月に「日本部」の結成試みたが、弾圧により頓挫した組織化実現したのは第3次朝鮮共産党のもとでの1927年5月のことであり、朝鮮共産党日本部(責任秘書洛鍾)と高麗共産青年同盟日本部(責任秘書:韓)が結成された。党の「日本部」は1928年4月に「日本総局」と改められた。 党日本総局責任秘書はのちに金天海務め、共青日本責任秘書一時期印貞植(朝鮮語版)が務めている。 社会主義者たちは在日朝鮮人運動の主流占め日本民衆との連帯重要視した1929年頃より「一国一党原則」が強調され在日朝鮮労総が日本労働組合全国協議会全協)に解消されるなど、朝鮮人組織日本人組織吸収されることとなった。このことは在日朝鮮人運動混乱招いた。朝鮮共産党日本総局は1931年解散し金天海らその多く日本共産党朝鮮人部で活動することになる。

※この「朝鮮共産党日本総局」の解説は、「朝鮮共産党」の解説の一部です。
「朝鮮共産党日本総局」を含む「朝鮮共産党」の記事については、「朝鮮共産党」の概要を参照ください。

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