第3次朝鮮共産党とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第3次朝鮮共産党の意味・解説 

第3次朝鮮共産党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 15:43 UTC 版)

朝鮮共産党」の記事における「第3次朝鮮共産党」の解説

第2次朝鮮共産党弾圧後、北星会系の安光泉(朝鮮語版)やソウル青年会ソウル派)の金錣洙(朝鮮語版)らによって社会主義陣営統一図られ1926年12月朝鮮共産党再建された。朝鮮共産党責任秘書には金錣洙が就き、共青の責任秘書高光洙が就いた。第3次朝鮮共産党ではマルクス・レーニン主義による指導掲げられたことから「ML党」とも呼ばれる青年運動影響力持っていたソウル派の合流は、社会主義系の青年運動の強化発展重要な意味を持った。 「ML党」に参加した主要メンバーのうち、安光泉は東京において一月会(北星会が改称)で活動していたが朝鮮帰国したものであり、ほかに河弼源・金俊淵・崔益翰らもこのグループ属する。ソウル派からは崔昌益李仁秀が参加、ほかに上海派の韓偉健・梁明らが合流した。 第3次朝鮮共産党は内部派閥対立抱え1年余の存続期間の間に朝鮮共産党責任秘書は金錣洙→安光泉→金俊淵→金世淵、共青の責任秘書高光洙→梁明→河弼源→金哲目まぐるしく交替した党内部にこうした困難を抱えながらも、新幹会槿友会に積極的に参加し民族主義者との統一戦線結成図った。しかし、1928年2月官憲弾圧によって組織が再び壊滅した(第3次朝鮮共産党事件)。 なお、ML党から排除され李英朝鮮語版)らは、1927年12月ソウルの春景園で「朝鮮共産党」を結成した。このグループは「春景共産党」と呼ばれるが、官憲弾圧により1928年6月壊滅した

※この「第3次朝鮮共産党」の解説は、「朝鮮共産党」の解説の一部です。
「第3次朝鮮共産党」を含む「朝鮮共産党」の記事については、「朝鮮共産党」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第3次朝鮮共産党」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第3次朝鮮共産党」の関連用語

第3次朝鮮共産党のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第3次朝鮮共産党のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの朝鮮共産党 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS