第3次救援
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 15:21 UTC 版)
第3次救助隊に助けられた人々名前年齢エリザ・ドナー 3 ジョージア・ドナー 4 フランシス・ドナー 6 サイモン・マーフィー 8 ジャン・バチスト・トルドー 16 3月14日、フォスターとエディがトラッキー湖畔に着いたとき、彼らの子どもはすでに死んでいた。キースバーグはエディに彼の子の遺体を食べたと伝え、エディはもしいつかカリフォルニアでキースバーグに会うことがあったら殺すと誓った。ジョージ・ドナーとジェイコブ・ドナーの子ども1人はアルダー河畔でまだ生きていた。ちょうどタムセン・ドナーがマーフィー家の小屋に来ており、そのまま1人だけ着いてくることもできたが、これ以後すぐに救助隊が来る予定はないと告げられたにもかかわらず、夫の元に戻った。フォスターとエディおよび救助隊は、子ども4人とトルドーとクラークを連れて帰路についた。 その後も生存者救出のため2つの救助隊が出発したが、いずれもベア渓谷に着く前に引き返し、それ以降救助活動はなかった。4月10日、第3次救助隊が撤収してからほぼ1か月後に、サッター砦近くにいた執政官 がドナー家の遺物回収を図る回収隊を組織した。これは回収した遺物を売却し、売上の一部を孤児になったドナー家の子供の養育に充てることを目的としていた。アルダー河畔のテントには死後数日しか経っていないジョージ・ドナーの遺体のほかは誰もいなかった。トラッキー湖畔に戻る途中、生き残っていたルイス・キースバーグを発見した。彼によると、マーフィー夫人は第3次救助隊が帰った翌週に死んだという。またその数週間後、これから峠を越えるというタムセン・ドナーが彼の小屋に立ち寄ったが、ずぶ濡れで明らかに様子がおかしかった。キースバーグは彼女を毛布でくるみ、発つなら翌朝にするよう伝えたが、彼女はその夜に死んだ。 回収隊はキースバーグの言い分を疑い、小屋を調べて、人肉の詰まった鍋とともにジョージ・ドナーの拳銃、宝石、250ドル(2016年換算6,400ドル)相当の金塊を見つけた。回収隊がキースバーグを脅すと、タムセンに頼まれて彼女の子どもらのためにと、ドナー家の金を273ドル(2016年換算7,000ドル)隠したと告白した。1847年4月29日、キースバーグはサッター砦に到着した最後のドナー隊参加者となった。
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