朝鮮共産党再建運動
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朝鮮において「12月テーゼ」に基づく党再建運動はたびたび試みられたが、いずれのグループもコミンテルンによる承認を得られなかった。当局による弾圧の中で1930年代には社会主義者の活動は困難となり、多くの人士が共産党の活動から離れ、民族主義路線への転換をおこなった。 元山ゼネスト後の1929年6月には、社会主義者たちの運動が共産党再建を図るものとして弾圧された(第5次朝鮮共産党事件)。マルクス主義経済学者印貞植(朝鮮語版)も検挙された一人である。 1934年から1936年にかけて李載裕(朝鮮語版)・李鉉相(朝鮮語版)らによる「党再建ソウル準備グループ」が活動した。 1939年に釈放された朴憲永は、残存する社会主義者の諸党派を糾合して党の再建を模索し続けたが(ソウル・コム(朝鮮語版)グループ)、1941年に大部分が検挙された。朴憲永は光州で煉瓦工場の労働者として潜伏した。
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