承認取り消しと一国一党原則
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 15:43 UTC 版)
「朝鮮共産党」の記事における「承認取り消しと一国一党原則」の解説
1928年7月、第4次朝鮮共産党事件によって党中央が検挙された際、コミンテルンでは第6回大会(1928年7月~9月)が開かれていた。コミンテルンは大会後に朝鮮共産党の承認を取り消した。1928年12月、コミンテルン朝鮮委員会は「朝鮮革命農民及び労働者の任務に関する決議」(「朝鮮問題に関する決議」とも。通称「12月テーゼ」)を採択した。12月テーゼでは、党がインテリ・学生中心で労働者と没交渉であったこと、分派争いのため日本のスパイや扇動者の潜入を防げなかったことを批判し、労働者・農民を獲得することを指示、階級闘争運動を強調した。これは、民族主義者との共闘に否定的な見解を示唆したものであった。統一戦線の否定と非合法活動の推進は運動に混乱をもたらすこととなった。 朝鮮共産党の再建が行われなかったことに加え、コミンテルンの「一国一党」原則により、満州総局と日本総局は解散した。満洲・日本在住の朝鮮人共産主義者は、それぞれ中国共産党や日本共産党に加入し、中国や日本の社会主義革命、民主主義革命のために活動することとなった。
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