特徴および批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 06:20 UTC 版)
『レーニン全集』各版の編纂は、ソビエト政権の時々の方針によってなされたため、それぞれの性格の違いが存在する。特に第2・3版がスターリン時代以前に編纂されていたものを含んでいたのに対して、第4版はスターリニズムに基づいて編纂され、特にスターリンに関係のあるレーニンの著作が多く収録された。具体的には、意図的に収録されなかったと思われる文献として、レーニンより年上の革命家のプレハーノフ、アクセリロード、スターリンによって粛清されたジノヴィエフ、カメーネフ、ブハーリンなどに宛てた手紙が挙げられる。その他、党政治局に宛てた手紙をスターリン宛にする、スターリンにとって都合の悪い部分の削除などが見られる。そのため、欧米の研究者は第4・5版刊行後も、それ以前に編纂されていて詳細な注解も付されている第2・3版を使ってきた。なお、日本では第2次世界大戦中に第2・3版やその他の文献が没収されて入手困難なため、第4・5版が用いられてきた。 スターリンの死後は、ソ連でも批判が行われた。スターリン批判が行われたソ連共産党第20回大会では、歴史学者のА.М.パンクラートヴァが、第4版では多くの論文・書簡が外されたこと、「完全なレーニン全集」を新たに編纂する必要があることを訴えている。その後、第5版の編纂が行われることになり、その成果にを取り入れて第4版の補巻(第36~45巻)が刊行された。例えば、このうち第4版第36巻には、レーニンが死の直前にスターリンを書記長から解任する提案を発言した「大会への手紙」が含まれるなど、スターリン批判を踏まえた編集が行われている。また、『レーニンスキー・ズボールニク』でも同様の影響が見られ、スターリン時代は刊行が滞り(1942年:第34巻、1946年:第35巻)、スターリン批判後の1959年から刊行が再開している。 ロシア史研究者の池田嘉郎によれば、ソ連時代においてレーニンに関わる文書は共産党およびソビエト政府の厳重な管理下に置かれ、自由な閲覧・利用ができなかった。他方で、公的な編纂物として『レーニン全集』のほか、『レーニンスキー・ズボールニク』、『レーニン活動年譜』、『ソヴィエト政権法令集』などに、レーニンの文書(余白への書き込みなども含む)24,000点以上が公表されてきた。しかし、1990年の時点で、書き込みを含むレーニン文書約3,700点および彼が署名した政治文書約3,000点が未公表であった。これらの中には、①国家機密や陰謀的性格を持つもの、②公定のイデオロギーの上で不適切と見做されたもの、③技術的に判読不能あるいは学術的に疑いがあるもの、④レーニンの手が入った政府刊行物のような印刷すると膨大になってしまうものなどが含まれているという。1991年のソ連崩壊後、これらの文書のうちの重要な部分が刊行されるようになっている。
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