第4版および補巻
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Институт Маркса-Энгельса-Ленина при Ц.К. В.К.П.(б.) (ред.), «В.И. Ленин Сочинения», Изд. 4-е., В 47 т. Государственное Издательство политической литертуры. Москва, 1941-67 г.г.『レーニン全集』全48巻(本巻45・別巻3、マルクス=レーニン主義研究所レーニン全集刊行委員会訳、大月書店、1953-69年) Lenin Collective Works, in 45 volumes (Progress Publishers, Moscow, 1960-70). 『レーニン全集』第4版は、1941年から1951年にかけて全連邦共産党(ボリシェヴィキ)中央委員会付属マルクス=エンゲルス=レーニン研究所によって新たな「レーニンの著作集」として編纂された。当初は全35巻からなり、著作および書簡を年代順に収録した。その後(1952年にソビエト連邦共産党に改称)、同研究所は、1954年にマルクス=エンゲルス=レーニン=スターリン研究所となり、別巻となる『便覧』1~2がこの名義で発行される。2927項目を収録し、各巻平均で80万部が発行された。しかし、スターリン時代に編纂されたことから、さまざまな問題点が存在すると批判されている(詳しくは、#特徴および批判を参照のこと)。 その後、スターリン批判を受けて、1956年にマルクス=レーニン主義研究所となってから、1967年までに補巻として第36~45巻を発行する。内容は、第2版および第3版の巻末付録を削除した代わりに、レーニンの多くの新資料を収録した。最終的に全47巻からなり、第1~35巻が著作および書簡、別巻1~2が本巻の各種索引、補巻である第36~45巻が本巻に未収の著作・ノート・書簡となっており、いずれも国立政治図書出版所から刊行された。 この第4版に基づいて、日本語訳が1953年から1969年にかけて、大月書店版『レーニン全集』として刊行された(詳しくは、#日本語版を参照のこと)。また、英語訳も1960年から1970年にかけて、モスクワのプログレス出版所からLenin Collective Works として刊行された。
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