主体思想の確立期とは? わかりやすく解説

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主体思想の確立期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 06:47 UTC 版)

主体思想」の記事における「主体思想の確立期」の解説

主体思想自身1956年から表面化した中ソ対立による政治的緊張下で、全体的思想的ドクトリンとして段階的に形成されていった。すなわち北朝鮮国内における親ソ派ソ連派)・親中派延安派)の粛清8月宗派事件)とソ連中国の影響排除通じ金日成マルクス・レーニン主義の独自解釈を進めることとなった。特に、フルシチョフ政権下のソ連共産党第20回大会で「西側諸国との平和共存路線」が打ち出されると、朝鮮半島解放(すなわち南朝鮮からのアメリカ帝国主義排除)を国是とする北朝鮮と、ソ連との対立深まってゆく(これに対しソ連平和共存路線を「修正主義」として批判した中華人民共和国は、北朝鮮接近することになった)。 「朝鮮民主主義人民共和国の歴史#1960年代 主体思想」および「中ソ対立#中ソ対立東側諸国各国共産党」も参照 主体思想は約10年間は脇に押しやられ、1963年金日成朝鮮人民軍への「主体原則演説により再登場した 。 主体思想という言葉は、1965年4月14日金日成インドネシアのアリ・アハラム社会科学院行った演説朝鮮民主主義人民共和国における社会主義建設南朝鮮革命』に登場する。同演説によると、一国独立には「思想における主体」「政治における自主」「経済における自立」「国防における自衛」の確立が必要であり、北朝鮮保持してきたこの立場が「主体思想」であるとされた。 その後1966年10月朝鮮労働党第2回代表者会では主体思想定式化され、「帝国主義との徹底闘争」「植民地民族解放運動国際労働運動支持」「社会主義政権」「内政不干渉相互尊重互恵平等」が北朝鮮の進むべき路線であるとされた。このように主体思想はその確立期にあって大国による内政干渉排除し自主路線歩むこと、そのためにマルクス・レーニン主義対する独自のアプローチをとることを主要な内容としていた。 1967年5月党中央委員会全員会議では、「唯一思想体系」を確立し修正主義分子排除することが謳われた。これにより、金日成と共に抗日パルチザン闘争戦った甲山派党内から排除された。主体思想朝鮮労働党首領である金の思想であることが確立されたことで、党内イデオロギー対立形式的に克服されたことになった詳細は「唯一思想体系#解説」および「甲山派#概要」を参照 なお現在では、主体思想塔朝鮮人民軍兵士平壌市民、大勢訪朝観光客観光崇拝をしている。

※この「主体思想の確立期」の解説は、「主体思想」の解説の一部です。
「主体思想の確立期」を含む「主体思想」の記事については、「主体思想」の概要を参照ください。

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