党と軍の関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 08:49 UTC 版)
「朝鮮民主主義人民共和国の政治」の記事における「党と軍の関係」の解説
ソ連や中国と異なり、共産党たる朝鮮労働党よりも革命軍である朝鮮人民軍の方が先に創設されたことになっている。これは、革命軍としての活動の源流を金日成が日本による朝鮮半島の植民地支配に対抗するパルチザン運動に身を投じた1932年(主体21年=昭和7年)に求めたことに由来する。 詳細は「朝鮮人民軍#創設」および「先軍政治#概要」を参照 朝鮮人民軍が北朝鮮労働党(当時)のコントロールの下、正式に軍隊組織としての活動を始めたのは1948年(主体37年)2月である。それからわずか2年の間に中国やソ連からの移籍兵を加える形で体制を整え、朝鮮戦争開戦後は人民軍に共和国政府の官僚を送り込むようになって、「労働党の軍」という他の社会主義国同様の体制が確立するに至った。 詳細は「国境会戦 (朝鮮戦争)#概観」および「朝鮮戦争#南北の軍事バランス」を参照 1950年10月、朝鮮労働党中央委員会は人民軍の党組織化を始めた。1956年(主体45年)の8月宗派事件までに軍内の反金日成派はほぼ粛清され、最後に残ったグループも1967年(主体56年)の大規模な粛清事件で壊滅。軍内部の党機関は金日成の下で一枚岩に強化された。 詳細は「延安派#戦後北朝鮮における「延安派」」および「主体思想#主体思想の確立期」を参照 1972年の共和国社会主義憲法制定の際に、人民軍の創建は党創建前の1932年であると公式に変更される。1980年(主体69年)に制定された政党法によると「朝鮮人民軍は朝鮮労働党の革命的な軍隊である」とされている。しかし、金正日が最高指導者に就任してからの先軍政治により、党による軍のコントロールを損なったと信じる者もいる。金正日は軍の部隊を頻繁に訪問することで親近感を育み、また、軍の幹部を国家の最高指導機関と定められた国防委員会の委員に就任させるなど以前より軍を厚遇した。 その後、2011年(主体100年)に金正恩が最高指導者に就任してからは、軍事的な意思決定が国防委員会から党中央軍事委員会に移され、党の役割が再び強化される方向へ向かう。2016年(主体105年)の第7回党大会後には国防委員会が廃止されて国務委員会が発足したことにより、軍制服組の役割は表向き、大幅に縮小されている。
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