党と全協の対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/28 08:07 UTC 版)
刷同問題以来、労働者の現実を知らないインテリ指導部による観念的な極左方針の押しつけは続いており、党中央と全協との対立は深まっていた。党中央は全協の自立性を主張しおとなしく指令に従わない勢力を潰しにかかる。溝上弥久馬全協委員長は逮捕され、その右腕のような松原はプロヴァカートル(超スパイ)の汚名を着せて暴行を加えた上除名し(「超スパイ松原問題」)、天皇制打倒綱領採用に一致して反対した旧常任委員は松原問題の責任をとらせて総辞職させ(特に松原に近かった2人の役員は除名)、残るは中堅幹部の尹基協と平安名常孝の2人となった。
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