党における朝鮮人と尹の立場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/28 08:07 UTC 版)
「尹基協射殺事件」の記事における「党における朝鮮人と尹の立場」の解説
当時、党も全協も末端の活動力は大きく朝鮮人に負っていた。全協構成員に占める朝鮮人の割合は、1932年で半数、1933年で過半数と推移していた。共産党系大衆組織も含めた朝鮮人の検挙者数は、1932年で338名、1933年で1820名と推移していた。朝鮮人活動家は日本人よりもはるかに戦闘的で、三・一五事件被告奪還計画の行動隊や、街頭デモ、『赤旗』の配布など最も検挙されやすい直接的で危険な活動を担わされた。それにも関わらず、党でも全協でも朝鮮人の地位は低く、中堅以下の幹部になるのが関の山で、尹は出世頭の部類に属していた。
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