個人宇宙旅行の実現
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/07 13:59 UTC 版)
詳細は「宇宙旅行」を参照 2004年以前にはどんな個人出資の有人宇宙飛行も実現したことはなかった。スペースシャトルに同乗しての宇宙旅行か、ロシアのソユーズで打ち上げられるミールに同乗しての国際宇宙ステーションへの往復が唯一の民間人宇宙旅行の手段だった。 世界初の民間人宇宙旅行はデニス・チトーによるもので、彼は国際宇宙ステーション (ISS) を訪れるための旅費を個人出資し政府機関の宇宙船を使用して2001年にISSへ宇宙旅行し帰還した。 その他の旅行としては1986年にコロンビア号に同乗したアメリカ合衆国連邦議会委員のビル・ネルソンと1990年にロシアの宇宙船ソユーズでミール宇宙ステーションを訪れた秋山豊寛、同じく1998年8月13日にロシアのバイコヌール宇宙基地からソユーズにてミールを訪れたガチャピンがいる。 ソユーズでISSを訪れた民間人 2001年 - デニス・チトー 2002年 - マーク・シャトルワース 2005年 - グレゴリー・オルセン 2006年 - アニューシャ・アンサリー 2007年 - チャールズ・シモニー 2008年 - リチャード・ギャリオット アンサリ・エックスプライズは民間による宇宙飛行技術を競うコンテストである。2004年6月21日にスペースシップワンは高度100キロメートルに到達し、世界初の民間宇宙船による有人宇宙飛行を達成した。2004年10月4日にはエックスプライズの獲得条件も達成し、1番乗りの賞金として1,000万ドルを獲得した。 2004年9月27日、スペースシップワンが成功を収めた後、リチャード・ブランソンは ヴァージン・グループとバート・ルータンの経営権、スペースシップワンのデザイナーであるヴァージン・ギャラクティックと機体に関する技術のライセンス、及び2年半 - 3年後までに商業宇宙飛行を可能にする計画を取得したと発表した。5隻の機体を完成させ、飛行に掛ける経費は20万ドルであり、ブランソンは彼の計画で長期の宇宙飛行をより手頃にするための出資であると述べた。 2004年12月、合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュは商業宇宙打ち上げ条約改正条例に調印した。条例では民間での宇宙飛行に関する曖昧だった部分を定義し、既に出現しているアメリカ国内での商業有人宇宙飛行産業 (U.S. commercial human space flight industry) を発展・促進するように定められている。 2006年7月12日、ビゲロー・エアロスペース社はジェネシスIを打ち上げ、軌道周回宇宙ステーションのモジュールとした。2007年6月28日にはジェネシスIIの打ち上げを行い、これらの計画ではBA 330宇宙ステーションモジュールの追加原型となる予定である。 2006年9月28日、ジム・ベンソンはSpaceDev社を創立し、ベンソン・スペース・カンパニー社の設立及び垂直発射と水平着陸を行うNASAのHL-20をベースに開発したドリーム・チェイサー民間打ち上げ運用機を運用する最も安く最も安全に民間宇宙飛行を売り出す会社であると発表した。 2008年6月18日、ファーストアドバンテージ社とロケットプレーン・キスラー・ジャパンは宇宙結婚式の申し込み受付を2008年7月1日より開始すると発表した。飛行時間は約1時間で、訓練に4日を要し、費用は2億4000万円となっている。 また、ソユーズの民間宇宙飛行は2009年3月で終了することが報じられている。
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