秋山豊寛
分類:宇宙飛行士
名前:秋山豊寛(あきやまとよひろ)
性別:男
国名:日本
生年:1942年
所属宇宙機関:元・TBS(東京放送)
飛行実績:ソユーズ宇宙船(ソユーズTM-11/A-2)
秋山豊寛は、1966(昭和41)年に国際基督教大学を卒業し、TBS(東京放送)に入社、ロンドン駐在、ワシントン支局長、外信部デスクなどを務めました。
1989(平成元)年3月、TBSはソ連宇宙総局による商業ベースの日本人宇宙飛行士搭乗に関する正式調印をおこないましたが、このとき、宇宙特派員を社内から募集し、秋山豊寛さんが最終候補として選ばれました(もう一人は菊地涼子)。同年10月から、秋山はモスクワ郊外の宇宙飛行士訓練センターで訓練を受け、1990年12月2日、ソ連の宇宙飛行士2人とともにソユーズ衛星TM-11に乗って宇宙に飛び立ちました。日本人として初めての宇宙飛行士になったのです。「これ本番ですか?」という第一声は、ソユーズ衛星が地球周回軌道を回り始めた時のものです。
秋山はまた、世界で初めて宇宙に飛んだジャーナリストともなりました。TM-11が宇宙ステーションのミールとドッキングして乗り組み、ステーション内の日常生活をみずから経験し、じかに取材することができたのです。ミール内では、秋山自身が被験者となった睡眠実験などさまざまな試みがなされました。そして12月10日、先にミールとドッキングしていたソユーズ衛星TM-10で帰還しています。全部で9日間の飛行でした。
飛行後はTBS報道局次長となり、その後、国際ニュースセンター長を兼務しました。1995年末にTBSを退職、現在は福島県で農業をいとなみ、無農薬栽培やシイタケの栽培を実践しています。そのかたわら、宇宙での体験、食糧、環境問題を語る講演活動、執筆活動をおこなっています。
1.同じロケット、衛星に乗った宇宙飛行士はいるの?
ソユーズ衛星TM-11には、ソ連空軍所属の宇宙飛行士、ビクトル・アファナシェフ船長、ムサ・マナロフ機関士が同乗し、ともに宇宙ステーションのミールに乗り組みました。マナロフはそのままミールに残り、のべ541日31分の宇宙滞在最長記録を達成しています。この時、ミールにはすでに、ソユーズTM-10でやってきたゲンナジー・マナコフ船長とゲンナジー・ストレカロフ機関士が乗り組んでいました。秋山が地球に帰るときは、そのソユーズTM-10による単独飛行でした。
2.宇宙でどのようなことをおこない、どんなことに成功しているの?
秋山は、日本人で初めての宇宙飛行士となりました。これは、日本人の民間人として初めての宇宙飛行という意味もあります。また、ジャーナリストとして世界で初めての宇宙飛行を経験し、自ら宇宙ステーション(ミール)の内部を直接取材することができました。
ミールでは、ニホンアマガエルの生態観拶秋山自身が被験者となった宇宙睡眠実験がおこなわれました。また、ミールに乗り組んでいたほかのソ連人のクルー(乗組員)との交流や、多くの宇宙飛行士が悩まされてきた強烈な「宇宙酔い」をレポートするなど、ステーション内の様子をジャーナリストの視点から、テレビ、ラジオ中継することができました。秋山が、移り変わる地球の様子やミール内部を撮影したスチール写真やビデオ映像は、貴重な資料として活用されています。
3.どれくらいの時間、宇宙を飛んでいるの?
ソユーズ衛星TM-11で宇宙に向かい、宇宙ステーションのミールに滞在、そしてソユーズ衛星TM-10で地球に帰るまで、9日間(144周)の宇宙飛行となりました。
※参考文献:秋山豊寛「宇宙特派9日間」小学館秋山豊寛+菊地涼子「こちら宇宙特派員!」毎日新聞社、立花隆/秋山豊寛「宇宙よ」文藝春秋、秋山豊寛/和田久士「日本人宇宙飛行士公式写真記録集」小学館
秋山 豊寛
芸名 | 秋山 豊寛 |
芸名フリガナ | あきやま とよひろ |
性別 | 男性 |
生年月日 | 1942/06/ |
干支 | 午年 |
出身地 | 東京都 |
URL | https://sparkle-caster.jp/profile/toyohiro_akiyama |
プロフィール | 日本人初の宇宙飛行士・ジャーナリスト・農家。1966年にTBS(東京放送)入社、ロンドン駐在、政治部記者、報道特集ディレクター、ワシントン支局長、外信部デスクなどを歴任。1990年12月2日ソ連の宇宙飛行士2人と共にソユーズ宇宙船(TM-11/A-2)に乗船、宇宙に飛び立つ。宇宙ステーション・ミールとドッキング後、地球の映像を生中継。日本アマガエルを使った実験のほか、宇宙ステーション内の取材及び本人が被験者となったさまざまな試みがなされる。12月10日:9日間(144周)の飛行を終えソユーズ宇宙船TM-10で帰還。飛行後TBS報道総局次長、ラジオ局次長、事業局次長を兼任。1992年、世界で初めてベーリング海峡を熱気球で横断。1995年に国際ニュースセンター長、報道局長を最後に退社以降は、福島県で農業を営み、無農薬栽培や椎茸栽培を実践する傍ら、宇宙での体験、食料、環境問題に関する講演活動、執筆活動をする。 |
代表作品1 | 著書『宇宙特派9日間』(小学館) |
代表作品2 | 著書『宇宙と大地』(岩波書店) |
代表作品3 | 著書『農人日記』(新潮社) |
職種 | 文化人 |
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秋山豊寛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/28 03:19 UTC 版)
秋山 豊寛(あきやま とよひろ、1942年〈昭和17年〉6月22日 - )は、日本のジャーナリスト、ソビエト連邦第3級宇宙飛行士、世界初の民間人宇宙飛行士、京都造形芸術大学芸術学部元教授、2017年4月から三重県大台町在住[1]。元TBS[注釈 1]記者・ワシントン支局長。TBSスパークル所属。
注釈
- ^ 会社法人としては現在のTBSホールディングス。放送局としては現在のTBSテレビ・TBSラジオ。TBSの通称は、2009年3月まで東京放送のものであったが、同年4月の東京放送ホールディングスへの改称に伴い、TBSテレビへ引き継がれた。
出典
- ^ “さようなら原発 津で1000人パレード”. 中日新聞 (中日新聞社). (2018年3月12日). オリジナルの2018年3月12日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b “日本人初の宇宙飛行士、秋山さんが語る! 「私が選ばれた」真相”. Weathernews.jp (2017年12月2日). 2020年10月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年10月29日閲覧。
- ^ “さようなら、ミール!”. 日本惑星協会. 2015年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年8月1日閲覧。
- ^ a b 高瀬毅「元TBS記者・宇宙飛行士 秋山豊寛 <現代の肖像>」 『AERA』2000年8月7日号、52頁。
- ^ “テレビ記者としてソユーズに搭乗 日本人初の宇宙飛行士が農業を志したのは”. 生活クラブ生協. (2018年8月23日) 2020年12月29日閲覧。
- ^ ゲストで出演したMBSラジオ『おとなの駄菓子屋』の2012年11月18日放送分より
- ^ “第12回 秋山 豊寛”. 国際基督教大学同窓会 (2008年7月7日). 2020年12月29日閲覧。
- ^ 会社法人としては現在の朝日放送グループホールディングス。放送局としては現在の朝日放送テレビ・朝日放送ラジオ。
- ^ ニノさん(日本テレビ)・2018年1月14日放送分
- ^ ブライアン・バロウ著『ドラゴンフライ』より
- ^ “読売こころ塾 第28回 秋山豊寛さん宇宙から見た地球 命の塊”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2009年10月23日). オリジナルの2009年12月13日時点におけるアーカイブ。
- ^ 第18回世界宇宙飛行士会議 実行委員会メンバーリスト
- ^ 日本初の宇宙飛行士秋山さん避難先転々 原発事故に怒り 朝日新聞 2011年12月7日
- ^ “宇宙飛行士と立花隆の大激論!有人宇宙開発の意味とは?”. 室山哲也公式YouTube(元NHKプロデューサー・解説委員、日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)副会長) (2012年10月11日). 2021年7月1日閲覧。
- ^ “ふらっと'92 20周年記念シンポジウム「日本の宇宙飛行士が語る20年の歩みと今後の展望」”. JAXA. 2021年7月1日閲覧。
- ^ 秋山豊寛教授 退任記念講演 「自然と人間」 ~この時代、芸術家であるという意味~(2018年02月11日開催)
- ^ 『毎日新聞』<「宇宙はもういいかな」 日本人初の宇宙飛行士 秋山さんは今> 2023/4/7 06:30(最終更新 4/7 09:59) 2023年4月6日閲覧。
- ^ a b c “秋山 豊寛 (Akiyama Toyohiro)”. Koushihaken. 2020年9月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年10月26日閲覧。 “1990年 ソ連人民友好章 (1990, Soviet - Order of Friendship of Peoples)、1991年 東京都民文化栄誉章 (1991, Tokyo Metropolitan Cultural Honor)、2000年 日本宇宙生物科学会功績賞 (2000, Japanese Society for Biological Sciences in Space Achievement Award)。”
- ^ “Указ Президента СССР от 10.12.1990 N УП-1148”. www.libussr.ru. 2018年7月19日閲覧。
- ^ “これまでの学会各賞受賞者および名誉会員 (Award winners and honorary members of previous academic societies)”. Japanese Society for Biological Sciences in Space (JSBSS) (2017年). 2020年10月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年10月26日閲覧。
- ^ Указ Президента Российской Федерации от 12 апреля 2011 года № 437 «О награждении медалью „За заслуги в освоении космоса“ иностранных граждан»
- ^ NIKKEI NET 特集「宇宙に広がるビジネスの夢と可能性」(2009年3月2日時点のアーカイブ)
- ^ 日本放送協会 (2021年12月9日). “前澤友作さん搭乗の宇宙船 ISSにドッキング 約12日間滞在開始”. NHKニュース. 2021年12月9日閲覧。
秋山豊寛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/28 17:39 UTC 版)
1990年12月2日、日本人初の有人宇宙飛行。ソユーズTM-11号に搭乗し、宇宙ステーションミールに6日間滞在の後、先任クルーと共にソユーズTM-10号にて地球へ帰還。当時TBSの社員であり、「宇宙特派員」として宇宙へ派遣。国際基督教大学教養学部卒。旧ソビエト連邦宇宙飛行士。
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