京王多摩センター駅までの開業後の混乱とは? わかりやすく解説

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京王多摩センター駅までの開業後の混乱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 02:27 UTC 版)

京王相模原線」の記事における「京王多摩センター駅までの開業後の混乱」の解説

京王よみうりランド駅 - 京王多摩センター駅間が開業した1974年当時京王次の各駅の乗降人員数を以下のように予測していた。 稲城駅:1,915人 若葉台駅422京王永山駅:4,767京王多摩センター駅:3,512人 しかし、実際に開業してみると、以下のような結果となった稲城駅:980人 若葉台駅280京王永山駅:7,165京王多摩センター駅:1,394人 つまり、予測上回ったのは京王永山駅だけという状況で、社内ではこれが問題となり、多摩ニュータウン側には京王から苦情申し入れられた。これには多摩ニュータウン開発の遅れが影響していて、当時入居進んでいたのは、諏訪団地永山団地だけといった状況であり、多摩ニュータウン人口は3万人に過ぎなかった。 多摩ニュータウン開発の遅れの原因としては、まず、第一次入居直後多摩市が、多摩ニュータウン側との小学校中学校等の公共施設費用負担問題から、多摩ニュータウン住宅建設許可出さず住宅建設中止されていたということがあった。結局これは東京都事実上学校土地・建物費用多摩市に対して無償負担するということ解決し第二次入居こぎつけることになった。しかし、この最中オイルショック起き開発の遅れもう一つ原因となっただけでなく、多摩ニュータウン計画そのもの変えてしまった。 1973年オイルショック日本経済直撃し高度成長期終焉した。旺盛だった大都市への人口流入沈静化し、それにより住宅需要急速に冷え込んだ第二次入居始めた多摩ニュータウンでも、住宅不足を解決するための画一的仕様デザイン住宅販売不振おちいり入居がなかなか進まなかった。これをきっかけ多摩ニュータウンは、従来の「少しでも早く安く計画的な良好な都市大規模に提供する」という計画から、「時間をかけて理想的な都市作る」という計画転換し多彩デザイン性優れた住宅供給されていくことになった。 また開業当時京王永山駅および京王多摩センター駅では、当時初乗り運賃である40区間乗車券売れ行き異常に多いと共に、その乗車券回収されないという事態が発生した。これを不思議に思った電鉄側が車内検札行ったところ、多く利用客新宿 - 聖蹟桜ヶ丘などの定期券持っていた。相模原線多摩ニュータウン乗り入れるまでは、多く住民聖蹟桜ヶ丘駅から京王線乗っていたため、その定期券悪用しキセルをしていたのであった当時自動改札機導入されておらず、乗車券類は紙製のものであり、フェアスルーシステムもなかった。

※この「京王多摩センター駅までの開業後の混乱」の解説は、「京王相模原線」の解説の一部です。
「京王多摩センター駅までの開業後の混乱」を含む「京王相模原線」の記事については、「京王相模原線」の概要を参照ください。

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