ナハフ20形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 02:50 UTC 版)
1958年(昭和33年)から1963年(昭和38年)にかけて製造された2等座席緩急車。最後部に連結される非貫通式流線形緩急車で、最後部右側半分を車掌室、左側半分を展望室として乗客に開放した。客室はナハ20形に準じており、定員は68名。1 - 6・51 - 53の9両が製造されたが、1958年(昭和33年)から1959年(昭和34年)にかけて製造された1 - 3・51・52は製造技術面の問題で、妻部窓ガラスを平面4枚窓とし、それ以降は曲面ガラス2枚窓が採用された。 1964年の東海道新幹線の開業以後は東海道区間内での座席利用が減少したこともあり、後に新設の「ゆうづる」などに連結されたが、1970年(昭和45年)12月に全ての運用が終了。また、1965年(昭和40年)以降は寝台特急列車全席寝台化の方針により順次寝台車に改造され、ナハネフ20形に3両・ナハネ20形500番台に1両・ナハネフ22形500番台に5両が改造され、形式消滅した。
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