長崎寝台特急「さくら」登場後の展開
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「さくら (列車)」の記事における「長崎寝台特急「さくら」登場後の展開」の解説
1959年(昭和34年)7月20日:「平和」を「さくら」に名称変更。同時に20系客車による運行を開始。 1959年7月時点の編成図さくら ← 長崎 東京 → 編成基本編成 付属編成 号車1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 カニ21 ナロネ22 ナロ20 ナシ20 ナハネ20 ナハフ21 ナハネ20 ナハフ20 付属編成(7 - 12号車)は東京駅 - 博多駅間連結 「さくら」の20系客車化に伴い、1人用個室一等寝台「ルーメット」と開放式一等寝台の合造車である「ナロネ22形」が新たに設計・新造された。この「ナロネ22形」は1972年の14系客車投入まで「さくら」に連結された。 20系客車13両編成中には一等座席車(1969年よりグリーン車)「ナロ20形」、二等座席車(同普通車)「ナハフ20形、ナハフ21形」も組み込まれた。また、東京駅方の6両は博多駅回転となった。 編成端部の車両に設置された電照式の愛称表示は、「さくら」にちなんで地色がピンク色のものが使用された。 1960年(昭和35年)7月:「はやぶさ」に20系客車が導入された。これに伴い、ディーゼル発電機と電動発電機の双方を搭載した電源車である「カニ22形」が使用されるようになる。この車両はパンタグラフを装備しており、直流電化区間では電動発電機により編成の電力をまかなった。 なお、当時の編成はこちらを参照されたい。 1961年(昭和36年)10月1日:のちに「サン・ロク・トオ」と称されるダイヤ改正により、以下のように変更。本ダイヤ改正から列車番号の符番を変更。前年のダイヤ改正よりそれまで客車列車で運行されていた「つばめ」・「はと」が電車化されて以来、形式上空いていた1列車から始まる列車番号を九州特急と称された寝台特急列車群に与える。これにより、九州特急の下り始発列車であった「さくら」に1列車、その上り列車として2列車が与えられ、JR化以降となる1994年(平成6年)12月3日までの33年あまり使用され続けた。 「西海」「雲仙」の併結運転を実施。 観光団体列車として「九州観光列車」を東京駅 - 長崎駅・大分駅間に設定。 東京長崎間の所要時間は19時間50分だった。 12月29日:20系客車による下り「さくら」に、山陽本線上で2時間57分遅れで運転されていた気動車準急「あきよし」が追突する事故が起こった。事故復旧に際して20系客車が使用できなくなり、急遽10系客車や在来型客車を代わりに用いた。
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