長崎奉行と代官
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 17:51 UTC 版)
豊臣秀吉は、天正16年(1588年)4月2日に鍋島直茂を長崎の代官に任命した。同年6月には寺沢広高と藤堂高虎が奉行に任命され、長崎へ派遣された。代官の鍋島が長崎の地を常時監視する役目を負い、寺沢と藤堂は海外貿易での秀吉のための買物係と貿易の監視のために派遣され、取り引きが終わった後は大坂へ帰還した。 文禄元年(1592年)には、朝鮮へ出兵した鍋島に代わり寺沢広高を代官に任命した。ただし、寺沢は多忙のため、家老など配下の者を派遣し、長崎の統治を代行させていた。 江戸時代初期の長崎奉行の役務は貿易品の購入が主であり、交易が終われば江戸に戻っていた。この時期も長崎に派遣された奉行は海外の品の購入が主な職務で、長崎の統治は長崎代官が担っていた。ただし、長崎の地誌類の多くは、初代長崎奉行は文禄元年に代官に就任した寺沢としている。
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