東京対九州東部連絡急行「たかちほ」 → 「高千穂」と周辺列車群
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 18:19 UTC 版)
「富士 (列車)」の記事における「東京対九州東部連絡急行「たかちほ」 → 「高千穂」と周辺列車群」の解説
1951年(昭和26年)11月25日:東京 - 都城間を運行する夜行急行列車として501・502列車が運行を開始する。東京 - 門司間は、東京 - 熊本間急行31・32列車との併結。大分県・宮崎県からは初の東京直通列車でもあった。 1952年(昭和27年)11月:501・502列車に「たかちほ」と命名。同時に31・32列車には「阿蘇」(あそ)の名称が与えられる。 1954年(昭和29年)10月1日:「たかちほ」は併結列車を東京 - 博多間急行「玄海」(げんかい)に変更。同時に、半室合造車ながら二等寝台車を連結。 1956年(昭和31年)11月19日:「高千穂」は併結を取りやめて全区間単独運転となり、運行距離を延長して東京 - 西鹿児島間の運行とする。同時に食堂車を連結。また、列車愛称も「高千穂」と漢字表記とする。この時から日本最長距離を走る列車となり、全区間走破には31時間28分を要した。しかし東京駅・大阪駅から西鹿児島駅へは到達時分の短い鹿児島本線経由が一般的であったため、同列車を全区間乗り通す客はそれほどいなかったといわれている。 1961年(昭和36年)10月1日:夜行急行列車「ぶんご」が東京 - 大分間で運行開始。また観光団体専用列車として、東京 - 大分・長崎間を運行する「九州観光団体専用列車」(きゅうしゅうかんこうだんたいせんようれっしゃ)が設定される。 1963年(昭和38年)6月1日:寝台特急「みずほ」に20系客車を充当。同時に大分駅発着編成を連結する。このとき20系客車を使用するにあたり初めての二階建て列車として運用された。 1963年6月1日20系投入(いわゆる「固定編成客車化」)当初の「みずほ」編成図 表・編・話・歴・PJR・PJRN・C 「みずほ」 ← 熊本・大分 東京 → 編成基本編成 付属編成 号車1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 カニ22 ナロネ22 ナシ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハフ21 ナロネ21 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハネ20 ナハフ20 車両形式と座席種別の相関関係は等級の表現と各車種の座席種類についてを参照。 基本編成が東京駅 - 熊本駅間、付属編成が東京駅 - 大分駅間で運転。なお、門司駅 - 大分駅間は8号車の前頭大分駅側に簡易電源車「マヤ20形」を連結していた。 なお、「みずほ」では当初ナハフ20形のテールマークの地色として水色が用いられた。
※この「東京対九州東部連絡急行「たかちほ」 → 「高千穂」と周辺列車群」の解説は、「富士 (列車)」の解説の一部です。
「東京対九州東部連絡急行「たかちほ」 → 「高千穂」と周辺列車群」を含む「富士 (列車)」の記事については、「富士 (列車)」の概要を参照ください。
- 東京対九州東部連絡急行「たかちほ」 → 「高千穂」と周辺列車群のページへのリンク