一般車への格下げとは? わかりやすく解説

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一般車への格下げ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/16 23:11 UTC 版)

南海電7系電車」の記事における「一般車への格下げ」の解説

1929年昭和4年)、直線主体ルートに重軌条と重架線敷設した規格路線大出大型電車大阪 - 和歌山間ショートカットする阪和電鉄阪和天王寺 - 東和山間61.2kmを全線開業し、これを迎え撃つべく、新たに鋼製の20m級車両である電9系が1929年20両、1930年12両と順次新製投入された。この結果、15m級木車体備える本形式一気陳腐化した為、本形式は電9系の増備に従って順次優等列車運用から退き格下げ改造受けてから一般運用充当される事になった)。 豪華な設備誇った電付6形は、クイシニ551~553が1930年昭和5年)に各種設備撤去の上、電付5形クハ811813改造され唯一温存されたクイシニ554も、1932年昭和7年)にクハ814に改造され姿を消した。また電付11形901~905については、1929年昭和4年)に特別室撤去してクハニ901~905となり、さらに1933年昭和8年)には荷物室も撤去してクハ901~905となった1935年昭和10年)、電7形モハ220と電付5形クハ812は佐野駅(のちの泉佐野駅)で火災により全焼し廃車された。 1936年昭和11年)には、在来車の車両番号整理為に一斉改番が行われ、以下の番号変更された。このとき、クハ901903~905は改番同時に電装化され高野線平坦部分用のモハ1081形モハ1081~1083となった電7形 モハ201 - 221220欠) → モハ10011001 - 1020 電付5形 クハ801 - 814(812欠) → クハ1801形 1801 - 1813 電付11形 クハ901 - 902クハ1801形 1814 - 1815 電付11形 クハ903 - 905 → モハ1081形 1081 - 1083 モハ1001形は、旧型木造車と混用南海本線普通列車主体使用されモハ1081形高野線平坦部分使用された。1938年昭和13年)には、モハ10011006主電動機をGE244-Aに交換しギヤ比高野線平坦部での運用適した比率変更してモハ1081形1084~1089編入された。さらに1941年昭和16年)には、モハ1007追加改造されモハ1090となった1940年昭和15年)から1944年昭和19年)にかけて、ダブルルーフだった屋根がシングルルーフに改造されている。

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一般車への格下げ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 18:13 UTC 版)

京阪1900系電車」の記事における「一般車への格下げ」の解説

3000系特急車就役開始に伴い1972年から順次格下げ改造工事が行われた。車体中央への客用扉の増設ロングシート化テレビ撤去などが実施され座席モケット一般車と同じ緑色に、また車体塗装一般車と同じグリーン濃淡2色塗り分け変更されている。増設された扉は車体中央の側窓2枚潰して設置した片開き扉が原則であるが、扉間の窓の枚数が元々1枚少ない元両運転台車(1905・1906・1925・1926)については、他車と扉位置をそろえるために車体中央部の側窓3枚つぶして設置した戸袋窓のない両開きとなっている。この際に1905と1906の2両は残った運転台撤去して完全な中間電動車となり、19801991・1992改番された。また、片運転台車からも1931運転台同様に撤去され2代目1985変更されている。 なお、編成当初7両編成での運用行われていたが、後に新造1900系2両と元1810系3両を組み合わせた5両編成組み替えられ、前後前面スタイル異なるという編成運用された。格下げ後は普通を中心に運用されたが、架線電圧が1,500Vに昇圧されるまでは1900系3000系をも上回る乗り心地良さ走行特性ゆえに、正月はじめとする多客期の臨時特急積極的に充当された。

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一般車への格下げ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 14:13 UTC 版)

名古屋鉄道トク3号電車」の記事における「一般車への格下げ」の解説

終戦後名鉄のみならず全ての鉄道事業者においては復員輸送郊外への買い出し輸送など輸送需要急増する一方戦中酷使起因する車両故障多発によって車両稼働率極めて低下していた。また物資不足によって事業者自由な車両新造発注には制限加えられ車両増備による輸送力改善望めない状況に陥っていた。そのような状況下、名鉄国有鉄道からのモハ63形割当車(初代3700系)や運輸省規格車両3800系)を順次導入するとともに貴賓車として温存されていたトク3を一般用車両格下げして輸送事情改善供することとした。 トク3は日本車輌製造にてモ600形初代デボ600形より改形式)に類似した3扉ロングシート仕様一般型車両改造され1947年昭和22年)に竣功復籍に際してモ680形681の形式および記号番号付与された。 外観については、両端部の客用扉を両開構造から車体中央方向への片開構造改めたほか、4広幅窓を撤去して新たに狭幅窓を計8配置便所・洗面所相当する中央窓部へ片開構造の狭幅客用扉を新設して3扉構造とした。この結果側面窓配置1 D 4 D 4 D 1 と変化した車内車内仕切壁・ソファー便所および洗面所といった貴賓としての設備全て撤去し、各客用扉間に定員28分のロングシート新設した。 走行機器については、前述通り台車・主電動機戦中に他車へ供出したため、ク2270形2271よりブリル27-MCB-1台車転用しウェスティングハウス・エレクトリック (WH) 製の定格出力65 PS主電動機4基と歯車比3.83 (69:18) にて組み合わせて装着したまた、集電装置ビューゲル換装された。 この改造施工により、トク3改めモ681は車内細部造作除いて全く原形失った竣功年月書類1948年昭和23年1月記録されているが、現車1947年昭和22年春季には尾西線末端区間新一宮 - 奥町間)の専用車両として既に就役していたとされる。 モ681は新造以来直接制御車であったことから、モ350形モ600形初代)・モ700形など当時架線電圧600 V路線区における主力車両であった間接制御車各形式とは総括制御不可能であり、専ら単行運用充当された。また前述通り、モ681は台車中心間隔高速鉄道車両としては極端に短いため走行時の動揺激しく乗り心地著しく難があったとされ、1948年昭和23年5月西部線幹線区間架線電圧1,500 V昇圧に伴う同600 V仕様車の配転によって末端支線区である渥美線転属した。転属に際して集電装置ビューゲルからトロリーポール換装し、1950年代初頭にはトロリーポール名鉄式Yゲルへ再換装している。

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