昇圧工事・その後
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「近鉄680系電車」の記事における「昇圧工事・その後」の解説
1969年に実施された京都・橿原線の架線電圧1,500Vへの昇圧に当たっては、吊り掛け駆動車である本系列についても全面的な機器更新を伴う昇圧工事が実施された。 具体的には、主電動機の絶縁強化や1C8M方式の三菱電機製AB電動カム軸式制御器の新製を実施して、単純な1C4M制御であった2両の電動車をMM'方式のユニット構成に変更するというもので、これに伴い編成がモ683 + ク583 - モ684からモ683 - モ684 - ク583に組み替えられ、ク583は方向転換を実施して橿原神宮向き制御車となり、モ684は京都寄り運転台を撤去して完全に中間電動車化し、パンタグラフ2基搭載で主制御器を持つM車となった。これに対し、モ683はモ684とユニットを組み永久連結になったことから橿原神宮前寄り運転台を撤去して京都向き制御電動車とされ、パンタグラフも撤去し、空気圧縮機や電動発電機といった補機を集約搭載するM'c車となった。 この改造は当時奈良・京都・橿原線系統に在籍していた600V線区用小型吊り掛け駆動車のうち、昇圧後も使用されることが決定していた4両編成を組む600系に対して標準的に施工されていたもので、ク583の方向転換を含む編成替えも600系の仕様に合わせたものである。 なお、2両編成ではあったが、全電動車編成の18000系についてもこれと同様、1C8Mユニット化を含めた昇圧工事が実施されている。 683系 600V時代 モ683 ク583 モ684 cMc Tc Mc 683系 1,500V時代 ク583 モ684 モ683 cT M M'c この結果、これまで編成の中間にあってほとんど使用される機会がなかったク583の運転台が久々に使用されるようになった。もっとも、この時期には最後の京都・橿原線用特急車となった18400系の新造がスタートしており、他の正規特急車と比較するとあまりに接客設備の格差が大きい本編成が定期運行の特急車として運用される可能性はもはや残されていなかったが、大阪万博を控え臨時特急が運行される可能性があったことと、その車内設備から団体客輸送を考慮して特急塗装が維持されていた。 このような状況から、本系列は昇圧改造後はもっぱら団体列車用とされたが稼働率は著しく低かった。そのため大阪万博の閉幕後、18400系の増備が続いていた1972年3月には一般車への格下げが決定し、マルーンレッドの一般車塗装への塗り替えが実施された。 この後も沿線に天理教本部が存在する関係で、団体列車などのニーズがあったことから転換クロスシートを基調とする車内設備は温存されたが、橿原線の限界拡大工事が竣工した1973年9月以降、京橿・京伊特急などへの大阪線特急車の充当が始まって680系や18000系の4両編成を「天理臨」に用いる運用の余裕が出てきたことや、冷房を持たないことなどから次第に敬遠されるようになり、1974年頃の一時期、京都 - 橿原神宮前間の急行に平日日中1運用に限定使用された程度で、最低限の運用にとどまっていた。 そのような状況も長くは続かず、実質的にこれ以降は新田辺車庫に終日滞留という状態となった。かくして、ほとんど運転される機会もないまま1976年3月19日付でモ684とク583は廃車され、そのまま解体されている。 これに対してモ683のみは、車体の経年が新しかったことから同年10月に大阪線の鮮魚列車用への転用が実施され、電装解除の上ク1322として2250系等と組んで運用された。その後1983年2月にク502と改番され、この車両の最終的な廃車日は1989年3月31日で、除籍後は解体処分されている。
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