優等列車運用
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東海道本線優等列車沿革・山陽本線優等列車沿革・とき (列車)・草津 (列車)・あさま・ふじかわ (列車)・伊那路 (列車)・マリンライナー#宇野線・本四備讃線優等列車沿革も参照のこと。 153系・165系が増備され置換えが進められる一方で、本系列の準急列車運用は引き続き行われていた。本年代には長距離急行列車にも投入された例があるが、2等車に洗面所がない・車端部のつり革とロングシートが存在・シートピッチや座席幅の狭い1次車や、更には混用されていた戦前形の存在(後述)など接客設備が普通列車水準で長距離優等運用に適さない問題点があったことから、いずれも短期間の運用に終わった。 本系列による最長距離運行列車は、1960年6月から上述「比叡」用編成で運転された東京 - 姫路間の臨時夜行急行「はりま」である。理由は車両不足によるものであり、翌1961年7月には153系に置換えられた。 定期列車では、1962年6月の信越本線新潟電化完成により、これ以前に上野 - 長岡間準急「ゆきぐに」2往復のうち本系列で運転されていた1往復の区間延長・急行列車格上げの形で下り「弥彦」・上り「佐渡」に本系列が投入された。 下り「弥彦」・上り「佐渡」編成 ← 上野 新潟 → クハ86(47) モハ80 モハ80 サハ87(48) サロ85 モハ80 クハ86(47) 車両は、高崎線普通列車と共通運用となる新前橋電車区(現・高崎車両センター)所属車が投入された。準急列車仕様の300番台のみでの編成組成ができずに正面3枚窓のクハ86形初期車や、制御車及び付随車不足から本系列の編成に混用されていた戦前形のクハ47形・サハ48形も組み込まれるなどの問題を抱えながらも電車ならではの速達性から客車急行より利用率は高く好評を博した。本系列の投入は一時的な措置であり、1963年3月には残存していた客車急行も含め新たに開発された165系に置換えられた。 その後は次々と準急列車も153・165系に置換えられたが、1965年10月のダイヤ改正では飯田線急行「伊那」に本系列を投入したほか、1966年3月に100 kmを超えて走行する準急はすべて急行列車となり、1964年から運転されていた身延線準急「富士川」も急行格上げとなった。 なお本系列による特急列車への投入実例がある。 1964年4月24日、東海道本線草薙 - 静岡(当時)間の踏切で下り「第1富士」が横断中のダンプカーと衝突した事故で、当日の下り「第1富士」大阪 - 宇野の区間運転と折り返しとなる上り「うずしお」の代走に高槻電車区(現・網干総合車両所明石支所高槻派出所)所属の本系列7両編成が投入された。 ← 宇野 大阪 → クハ86 モハ80 サハ87 モハ80 サロ85 モハ80 クハ86 事故による当日限りの緊急措置ではあったが、国鉄旧性能電車による唯一の特急列車である。
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優等列車運用
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「房総夏ダイヤ」の一環として1964年に80系6両編成による下り中野・上り新宿 - 館山間の臨時準急「白浜」が運転された。本列車は稲毛 - 館山間でDD13形ディーゼル機関車重連+電源車クハ16形の牽引による運転となった。 基本的に80系6両編成での運転であったが、1964年8月12日 - 14日にかけて、編成中のモハ80形1両に不具合が生じた為、代走としてモハ72形1両を組み込んだ珍しい混成編成で運転された。料金を徴収する優等列車に本系列が充当された唯一の例と推察される。
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