名鉄3700系電車 (2代)とは? わかりやすく解説

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名鉄3700系電車 (2代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 14:44 UTC 版)

名鉄3700系電車(めいてつ3700けいでんしゃ)は、名古屋鉄道1957年から、旧型車両の走行機器を流用して製造した電車である。


注釈

  1. ^ 暖房もなく冬は寒風吹きすさぶ木造車の乗務員室に耐えていた支線区の運転士らには大いに好評で、暖房使用時期になると運転士や車掌は乗務員室のヒーターに弁当箱を載せて飯を温めたりもしていたという[1]
  2. ^ 1957-59年の3700系更新当時、更新車に搭載された電動発電機は蛍光灯照明などを賄うための小容量のもので、制御装置の電源は更新前と同様、抵抗降圧で賄うHL式のままであった(このため、当初の3700系は木造HL車との連結も可能であった)。容量の大きな電動発電機を装備して制御電源を賄うHB方式に実質転換したのは3730系への更新開始以降で、3700系も高松琴平電気鉄道譲渡車を除き、後年同一仕様に改造されている(清水武 『名鉄木造車鋼体化の系譜』 ネコ・パブリッシング 2015年3月 p25、p28、p38)
  3. ^ 種車となった三河鉄道や愛知電気鉄道の車両は電動車比率が高く、もとより路線も平坦線のため、戦前の最高速度95km/h程度にはこれでも必要十分な性能であった。
  4. ^ 三河線直通(多くは碧南行き)急行の中京競馬場前→知立間はアップダウンが続く線形のため、力行を続ければ下り勾配では100km/hに達することもできた。一方、1977年から1982年まで国府→豊橋間に日中2本「高速」運用があったが、こちらは下り勾配でも平坦に近い緩勾配のため90km/hが精一杯であった。同列車は豊橋行きの高速を振替えて設定した豊川稲荷行きに接続するダイヤで、通常豊川線で運用のHL車を使用したものである(折り返し下りはいずれも急行)。その関係から休日はAL車の運用であったほか、のちすべてAL車に統一され1984年まで運行された。また飯田線の保守間合との絡みで水曜日は運休していた。
  5. ^ 同時期に同機種の75kW主電動機(WH-556-J6)を使用した車両は地方私鉄を中心に他社にも存在したが、全電動車2両編成の例は近鉄5820形程度しかなく、他は名鉄と同様に付随車を組み込んだ編成か、両運転台の単行車両ばかりであった。
  6. ^ それより約10年ほど前、3780系が登場し更新HL車138両が出揃った頃、スピードアップの障害となるため電装品もAL車の機器に換装しようという案も出されたが正式に取り上げられることなく、車両転配措置は3700系の琴電譲渡や瀬戸線転属に変更された。なお本系列と同車体のモ3561は当初からAL車(モ3504)の機器を再利用して車体を新製したものである。
  7. ^ 高運転台化は、自動車普及に伴い1950年代末期から多発した踏切での自動車衝突事故対策で、同時期の国鉄(近郊形以上)や東武、山陽、近鉄(特急車のみ)など一部の私鉄でも同様な事故への安全対策の一環として広く用いられ始めていた。
  8. ^ ただし根本的な安全性に難がある木造車と異なり、鋼製車体は老朽化していても修繕によってある程度延命の余地があるため、3730系以降の更新で余剰となった旧形鋼製車の車体は、中古台車・機器を装備して支線に転用され、或いは中小私鉄に売却されて同様に中古機器類を組み合わせるなどの手法で1970-1980年代まで活用された事例が多い。
  9. ^ 文献によっては本系列のクロスシート車が3750系と表されるが、公式にはそのような形式・番台区分は無い。
  10. ^ 扉脇車端側のクロスシートを扉間に移設のうえ、撤去跡にロングシートを設置し座席定員を48名とした。また蛍光灯カバーを撤去し照度が向上した。なお名鉄に残った車両では同様の改装は行われなかった。因みに台車はMcがDT12、Tcが当初オリジナルのブリル27MCB2で後年TR64へと変更されている。
  11. ^ ポンプレスの1段構造でエバポレータ・コンデンサ各装置を全て1段に収めたため寸法的に薄型となり、平ら天井でありながらも本系列や7000系・7500系の場合天井高さは2205mmを確保することができた。
  12. ^ 単位スイッチ制御器を運転士の操作で進段させ、その制御電源には、主制御器への配線から手前で分流した架線電源を抵抗器で降圧して使用した。構造が単純で信頼性が高く、また廉価なため、戦前の日本では名鉄の前身である愛知電鉄をはじめ多くの私鉄電車に使われ、日本のメーカーによるライセンス生産品・コピー品も多く出されていた。
  13. ^ 軸箱支持はシュリーレン台車と同じ円筒案内式。遠鉄30形などに採用例がある。
  14. ^ 支線直通の特急が多数運転されていた1974年以前の文献に、HL車の名古屋本線における最高速度が90km/hとの記載があることから、運輸省認可速度も同じ90km/hであったものとみられる。
  15. ^ 名鉄では直径860mmの車輪を研削によって直径が780mmになるまで使用していたため、その最小値に合わせたものとみられる。直径910mmの新品状態であれば55km/hという計算になる。
  16. ^ 同じ勾配をAL車は90km/h、高性能車(SR車)は各系列の営業最高速度(100 - 120km/h)で走行することが可能である。ただし同下り勾配については、自動ブレーキ車(B速度)は90km/h、直通ブレーキ車(A速度)でも110km/h(但し6000系は100km/h)の速度制限を受ける。

出典

  1. ^ 新實守 著「三鉄ものがたり」、徳田耕一 編『名鉄の廃線を歩く: 愛執の30路線徹底踏査』JTB〈JTBキャンブックス〉、2001年、159頁。ISBN 4-533-03923-5 
  2. ^ 清水武、田中義人『名古屋鉄道車両史 下巻』アルファベータブックス 2019年9月 ISBN 978-4865988482
  3. ^ 清水 (2015), p. 27.
  4. ^ 清水 (2015), p. 38.


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