琴平急行電鉄デ1形電車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/09 08:32 UTC 版)
琴平急行電鉄デ1形電車(ことひらきゅうこうでんてつデ1がたでんしゃ)は、琴平急行電鉄が同社路線の開業に際して1930年(昭和5年)に導入した電車(制御電動車)である。
注釈
- ^ 『日本車輛製品案内 鋼製車輛 日本車輛製 昭和五年版 追加補刷 第三輯』 p.77による[1]。ただし本形式の落成に先立って提出された設計認可申請書類「電動客車設計書」においては全高を3,901 mmとしている[2]。
- ^ その他、メーカー公称自重(琴急1形は21.1 t、広浜1形は21.3 t)・台車形式(琴急1形は形鋼組立形のD12、広浜1形はブリル27-MCB-1台車の模倣製造品である鋳鋼組立形のM-12)・側窓に取り付けられた保護棒の本数(琴急1形は1本、広浜1形は3本)などが異なる[1][10]。
- ^ DR-BC-447は、日本国内における直接制御器として最も普及した機種である三菱電機KR-8[12]の設計を基に日立製作所が製造した直接制御器で[12]、力行ノッチ数など仕様は全く同一である[12]。
- ^ ただし、名鉄側の記録においては本形式を1929年(昭和2年)7月に新製された車両として扱っている[13][14]。
- ^ M-15-Cは、EE社の前身事業者の一つであるディック・カー・アンド・カンパニーが開発した「デッカーシステム」と通称される電動カム軸式制御装置の一機種である[19]。名鉄においては各務原線を敷設・運営した各務原鉄道由来のモ450形(1925年製)が同機種を採用したことをはじめ、谷汲鉄道・美濃電気軌道などに由来する4輪単車の多くが同機種を採用した[19]。本形式へ搭載されたM-15-Cは、後述する揖斐線系統への転属に際してモ181 - モ185へ搭載されたものを含め、いずれも4輪単車各形式より転用されたものであるとされる[18][20]。
- ^ 鉄道研究家の三木理史は、自らが執筆した『悲劇の琴急の遺児ここに眠る -名鉄岐阜工場に残るモ180形の廃車体をめぐって-』において[24]、車番標記の文字板固定に用いられたネジ穴の位置関係や、両側妻面に前照灯取付用ステーを残していたことを踏まえ[24]、同廃車体を廃車まで両運転台仕様のまま存置されたモ185のものであると推定している[24]。
出典
- ^ a b c d e f g h 『日本車輛製品案内 昭和3年(鋼製車輛)』 p.77
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 「琴平急行電鉄 おぼえ書き」 (1989) p.64
- ^ 「琴平急行電鉄 おぼえ書き」 (1989) p.59
- ^ a b c d e f g h i j k l 「琴平急行電鉄 おぼえ書き」 (1989) p.65
- ^ a b c d e f g 『RM LIBRARY130 名鉄岐阜線の電車 -美濃電の終焉(下)』 pp.9 - 10
- ^ a b c d e 『日車の車輌史 図面集 - 戦前私鉄編 下』 p.241
- ^ a b c d e 「悲劇の琴急の遺児ここに眠る -名鉄岐阜工場に残るモ180形の廃車体をめぐって-」 (1987) p.4
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 「名鉄600形のD-12台車 -琴急デ1形の面影を求めて-」 (2000) p.114
- ^ a b c 「名鉄600形のD-12台車 -琴急デ1形の面影を求めて-」 (2000) p.113
- ^ a b c 『日本車輛製品案内 昭和3年(鋼製車輛)』 p.60
- ^ 「いとこ同士 -同形車を訪ねて- (上)」 (1966) p.24
- ^ a b c d 「路面電車の制御装置とブレーキについて」 (2000) p.86
- ^ 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 2」(1971) p.65
- ^ 「名鉄600形のD-12台車 -琴急デ1形の面影を求めて-」 (2000) p.112
- ^ 「琴平急行電鉄 おぼえ書き」 (1989) p.61
- ^ 「琴平急行電鉄 おぼえ書き」 (1989) p.60
- ^ a b c d 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 2」(1971) p.59
- ^ a b c 「電車をたずねて8 ローカルカラー豊かな名古屋鉄道揖斐・谷汲線」 (1973) p.41
- ^ a b 鉄道技術史 - 岡崎南公園に保存中の名鉄401号電車 - 白井昭電子博物館(2007年5月9日) 2013年10月5日閲覧
- ^ a b c 「特集 白井昭の一口メモ」 (PDF) - 名古屋レールアーカイブス NRA NEWS No.13(2012年8月) 2013年10月5日閲覧
- ^ a b 「名鉄600形のD-12台車 -琴急デ1形の面影を求めて-」 (2000) p.115
- ^ a b 『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 p.179
- ^ 「電車をたずねて8 ローカルカラー豊かな名古屋鉄道揖斐・谷汲線」 (1973) pp.42 - 44
- ^ a b c 「悲劇の琴急の遺児ここに眠る -名鉄岐阜工場に残るモ180形の廃車体をめぐって-」 (1987) p.3
- ^ 「消えた保存車・廃車体(18) 名鉄岐阜工場のモ185、ク2182」 (2010) p.26
- ^ 「名鉄600形のD-12台車 -琴急デ1形の面影を求めて-」 (2000) p.114 - 115
- ^ 「名古屋鉄道 現有車両プロフィール2005」 (2006) p.246
- ^ a b c 琴平参宮電鉄と琴平急行電鉄の遺構を訪ねて。(下) - 編集長敬白 ネコ・パブリッシング(2013年8月22日) 2013年10月5日閲覧
- 1 琴平急行電鉄デ1形電車とは
- 2 琴平急行電鉄デ1形電車の概要
- 3 運用
- 4 脚注
固有名詞の分類
名古屋鉄道の電車 | 名鉄100系電車 三河鉄道デワ1形電車 琴平急行電鉄デ1形電車 尾西鉄道1000形電車 名鉄ミ1形電車 |
- 琴平急行電鉄デ1形電車のページへのリンク