琴平急行電鉄在籍時
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/04/30 18:56 UTC 版)
「琴平急行電鉄デ1形電車」の記事における「琴平急行電鉄在籍時」の解説
本形式は開業前年の1929年(昭和4年)10月30日付で設計認可申請を行い、1930年(昭和5年)3月31日付で認可され、翌4月1日付で6両分の竣功届が提出されている。同6両の記号番号はデ1 - デ3・デ5 - デ7とされ、「デ4」は忌み番号として当初より欠番とされた。 その後、1935年(昭和10年)1月19日付でデ6をデ8と改番した。これは同車が就役直後の1930年(昭和5年)9月に発生した坂出駅構内の車止めへの衝突事故を皮切りに、以降合計5度の事故を起こしたことから、縁起を担ぐ意味合いで改番を実施したものとされる。 金刀比羅宮への参拝客輸送を目的として開業した路線は、琴平急行電鉄線のほか、1922年(大正11年)に開業した琴平参宮電鉄、1927年(昭和2年)に開業した琴平電気鉄道(現・高松琴平電鉄)の2路線があり、さらに鉄道省の運営する土讃線を含めると計4路線が競合する状態であった。そのうち最も遅く開業した琴平急行電鉄線は、営業成績が開業当初より低迷し、苦しい経営を強いられた。そして太平洋戦争の激化に伴って、琴平急行電鉄線は金属類回収令(鉄材供出)に基く不要不急線に指定され、1944年(昭和19年)1月に営業を休止した。 路線休止によって用途を失った本形式は、沿線に多くの軍需関連施設を抱え、戦時体制下において輸送力増強が急務であった名古屋鉄道(名鉄)へ全6両が譲渡された。書類上は1944年(昭和19年)3月7日付認可で譲渡されたこととなっているが、名鉄側に残る記録では前年の1943年(昭和18年)6月購入とあり、実際には書類上の路線休止年月である1944年(昭和19年)1月以前より営業を休止していた可能性が指摘されている。
※この「琴平急行電鉄在籍時」の解説は、「琴平急行電鉄デ1形電車」の解説の一部です。
「琴平急行電鉄在籍時」を含む「琴平急行電鉄デ1形電車」の記事については、「琴平急行電鉄デ1形電車」の概要を参照ください。
- 琴平急行電鉄在籍時のページへのリンク