支線の建設と松島電車の買収とは? わかりやすく解説

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支線の建設と松島電車の買収

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/23 02:11 UTC 版)

宮城電気鉄道」の記事における「支線の建設と松島電車の買収」の解説

宮城電気鉄道1937年昭和12年)に新たな路線許可申請行った。これは石巻駅近く山下付近から旧北上川河口付近石巻港に至る臨港線である。宮城電気鉄道が自ら願い出た形の申請だったが、実際に石巻市からの積極的な働きかけがあったと言われる。この臨港線貨客共に取り扱う路線として計画されていた。この申請最中に、石巻市日本製紙前身に当たる東北振興パルプ誘致成功し、その工場がこの臨港線沿線建設されることになった。これを受けて宮城電気鉄道は、東北振興パルプ工場引き込み線設けることを、臨港線計画加えて請願した工場建設必要な物資や、稼動後の工場で使う資材などの輸送を行うことと引き換えに、宮城電気鉄道東北振興パルプから資金借り計画にもなっていた。臨港線認可1938年昭和13年)に下り、さらに工場建設を急ぐために臨港線工区分割して山下から工場付近までの区間先に工事することが認められた。臨港線分岐点となる宮電山下駅現在の陸前山下駅)が1939年昭和14年2月1日にまず開業し同年11月4日東北振興パルプ工場近く釜駅現在の石港駅)までの区間営業始まった釜駅から旧北上川河口付近石巻港に至る区間工事については、石巻港計画不確定である、また資材調達が困難である、という理由建設期限延期繰り返されていた。石巻港まで線路敷設行われていたが、開業できないまま国有化向かえ、後に線路撤去されたという。この区間戦後貨物線として改め建設されることになる。 臨港線開業した1939年昭和14年)、宮城電気鉄道松島電車買収した松島電車宮城電気鉄道開業より前の1922年大正11年)に営業始めていた鉄道で、東北本線松島駅初代)から松島五大堂付近結んでいた。しかし、宮城電気鉄道開業影響受けて松島電車経営難に陥り、電車の運行出来ない状態になっていた。買収表向き理由は、景勝地である松島交通機関失われることは忍びがたいというものだったが、実際に鉄道省松島電車から宮城電気鉄道働きかけがあったという。宮城電気鉄道は、松島電車路線のうち東北本線松島駅初代)から宮城電気鉄道新富山駅までの区間地方鉄道として再生する構想立てた。しかし、この構想実現する事無く宮城電気鉄道国有化向かえた。

※この「支線の建設と松島電車の買収」の解説は、「宮城電気鉄道」の解説の一部です。
「支線の建設と松島電車の買収」を含む「宮城電気鉄道」の記事については、「宮城電気鉄道」の概要を参照ください。

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