奥平松平家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 05:23 UTC 版)
信昌の末男松平忠明は、家康の外孫として、また家康の養子として松平姓を許されて奥平松平家を興し、故郷の三河作手藩の初代藩主となった。しかし慶長15年(1610年)に忠明が伊勢亀山藩に移封されたため作手藩は廃藩となったが、その所領は大坂転封で天領となるまでは引き続き忠明のものとなった。以降も忠明には転封が続き、摂津大坂藩、大和郡山藩、播磨姫路藩主(18万石)となった。子である松平忠弘にも転封が続き、出羽山形藩、下野宇都宮藩、陸奥白河藩、そして10万石に減封のうえ再び出羽山形藩に移されたが隠居した。以後は備後福山藩、伊勢桑名藩をへて武蔵忍藩主として廃藩を迎えた。維新後華族に列し、華族令発布後には子爵に叙される。明治維新時の藩主松平忠国は信昌最後の男系子孫でもある。
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