奥平家の時代とは? わかりやすく解説

奥平家の時代(第1期)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 05:05 UTC 版)

宇都宮藩」の記事における「奥平家の時代(第1期)」の解説

宇都宮有史以来北関東軍事交通の要衝であったが、徳川家康没して日光東照宮造営され、これが家康廟所となると宇都宮城将軍墓参するための宿泊地となり、その重要性著しく高まったまた下野国は古来より地勢安定しており、その中心地であった宇都宮には譜代中の譜代家臣が入封した。 関ヶ原後の慶長6年1601年12月家康重臣娘婿奥平信昌嫡子家昌が10万石で宇都宮入部したことから宇都宮藩成立した。家昌の母は家康長女亀姫で、家昌は家康外孫に当たる。家昌は奥平家世子であったので無禄だった身代がいきなり10万石の大名取り立てられたのは、家康北関東要衝である宇都宮に誰を配置する悩んでいた際、天海僧正家康に家昌に賜うべきと主張したのが決め手になったという。しかし、いきなり10万となったため家臣団新たに編成しなければならなくなり、この時にかつて父信昌が長篠の戦い活躍した際に共に功績立てて家康への拝謁許された7族5老(のちにこの区別なくなり大身衆と称される)、奥平家重臣分家勧めて文武一芸秀でた浪人多く召抱えたりした。また家昌は伊奈忠次幕府公役宇都宮大明神社殿造営奉行務め城下町発展のために市を開催して、家昌の官名大膳」から「大膳市」と呼ばれた慶長19年1614年10月から大坂の陣が始まるも、家昌はこの時病床にあり参戦できず、江戸城留守居役命じられるが、10月10日38歳病死した。世子千福奥平忠昌)が11月18日家督相続認められるが、まだ7歳であった。忠昌は曽祖父家康死の床につくと、駿府城見舞い赴いたことを大い喜ばれ印籠白鳥葵紋の鞍を与えられた。家康没後翌年から日光東照宮造営され、忠昌も造営協力した元和5年1619年10月、忠昌は1万石を加増されて11万石とされた上で下総古河藩移封された。理由奥羽への押さえとして重要な宇都宮藩主には忠昌こと千福では幼すぎるためというものであった

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奥平家の時代(第2期)

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宇都宮藩」の記事における「奥平家の時代(第2期)」の解説

正純改易後は、古河藩移されていた奥平忠昌11万石で再封した。忠昌の時代46年続いたが、その期間に徳川将軍家日光社参13行われた。これは江戸期行われた将軍家社参19回の内の大半が忠昌期に行われたということであり、その対応に奥平家追われ百姓町人負担大きさから生活が逼迫した。 忠昌は寛文8年1668年2月19日病死し嫡子の昌能が跡を継いだ。しかし忠昌の死に際して寵臣杉浦右衛門兵衛殉死、これが5年前殉死禁じた幕府法令触れてしまう。また忠昌の二十七日法要不祥事宇都宮興禅寺刃傷事件)が起こり、これは後に江戸三大仇討ち呼ばれる浄瑠璃坂の仇討にまで発展することになった8月奥平家殉死禁制違反の咎から2万減封の9万石出羽山形藩移封させられた。

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奥平家の時代(第3期)

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宇都宮藩」の記事における「奥平家の時代(第3期)」の解説

本多忠平代わり貞享2年1685年6月22日奥平昌章出羽山形藩より9万石入った。昌章は17年前不祥事山形に減移封された昌能(昌能は寛文12年1672年)に死去)の養子(妹の子)である。昌章は奥州街道日光街道が通る宇都宮旅人多く病人対策のため元禄2年1689年)に順番医制度を導入して医師20人を常駐させた。昌能は元禄8年1695年)に28歳病死した。跡を継いだ次男昌成はわずか2歳幼少のためもあり、元禄10年1697年2月11日丹後宮津藩移封となる。

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