改易後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/07 11:30 UTC 版)
正保元年(1644年)9月19日、幕府上使小倉忠右衛門と石川弥左衛門に泉城が明け渡され、岡本家は改易。岡本家の家臣のうち、54人が武士を捨て帰農することになった。義政は、27年間久留米藩に預けられたのちに寛文11年(1671年)に妻方の実家である大田原氏の口添えでようやく赦免となり、江戸の上野広小路の屋敷を買い住み、元禄4年(1691年)5月6日に没し、寛永寺の現龍院に葬られた。 没年齢については諸説あり。
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