改暦案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/22 09:46 UTC 版)
実際に天文学者などから提案された改暦案は大きく分けると次のようになる。 閏日の再配置 閏日の設置年の決定方法(置閏法)の変更を行う。例えば現在の規定よりも平年を増やす(400の倍数にあたる年のうち 3200、3600もしくは4000 で割り切れる年は閏年から外す、あるいは100の倍数にあたる年の閏年の決め方を変更する(例:100の倍数の年のうち500の倍数以外は平年)など)、閏年の間隔を変更する(「原則は4で割り切れる年を閏年、100の倍数の年のうち400の倍数以外は平年」といった現行の規約を破棄し、現在「4年」および「8年」となっている閏年の間隔を「4年」および「5年」に変更し(例:33で割った余りが3・7・11・15・19・23・27・31の年を閏年とする)、暦と季節の間に生じるずれを極力小さくする)といったことが考えられる。 年始の変更 1月1日を冬至もしくは春分と言った天文現象の発生日に変更する方法(現在の1月1日は冬至から概ね10~11日後に位置し、太陽黄経では280°~281°に相当する)。実際の太陽年をそのまま1年とする調整を加えたものであるが、冬至を算出するには複雑な天文計算を要する。なお、日本では立春を1月1日とする案が出されたことがあるが、二十四節気自体が日本やその周辺諸国にしかない概念であり、それ以外の国から支持を得るのは困難である(イスラム暦とグレゴリオ暦を必要に応じて併用しているイスラム世界のように、日本独自に立春を1月1日とする暦を併用する事も考えられるが、本節とは別の問題となるので省く)。 暦日の再配分 月の大小の変更及び閏日の設置位置の変更を行う(特に28日もしくは29日に固定された2月を30日もしくは31日にすることが主眼となる)。曜日との関係は特に考えない。1月と3月の31日目を2月に移動させて2月を平年30日・閏年31日にする案や、12月以外の偶数月は31日・奇数月を30日として12月を平年30日・閏年31日にする案などがある。 暦日及び曜日の再配分 上記に加えて7で割ると余りとなってしまう平年1日・閏年2日(余日)を調整して日付と曜日の対応を常に合致させる。その方法として余日を週に属させず曜日を付けない方法、1か月を28日(4週間)を基本として、余日で「13月」を構成させたり(国際固定暦)、12か月のうちの特定月を35日(5週間)などとして調整する方法、閏年の概念を変更して閏日を廃止して閏年には閏週を設置する方法(この場合、原則は5で割り切れる年が閏年となり、5で割り切れても例外的に平年となる年を設置することとなる)等が挙げられる。 月と週の併用をやめてどちらかを廃止 1年を52週+余日とする案、逆に7日を1週間とする概念を廃止して必要があれば5日もしくは6日(前者は365の後者は366の約数である)とした新しい概念に基づく「週」(あるいはそれに替わるもの)を設置する。 国際的な改暦の動きとして1885年にフランス天文学会が改暦案の懸賞を行ったのを機に様々な議論が行われ、1922年にローマで開かれた国際天文学連合総会では改暦を検討する委員会が設置されて、「1年を52週とし、余日となる平年1日・閏年2日を週には加えない。1年を13週(91日)からなる4季に分割して、それぞれの季は30日からなる2か月と31日からなる1か月で構成される。年始を現在の12月22日(大抵の場合冬至あるいはその前日となる)に変更する」とする3原則に基づく改暦案が提案されたが、余日を週に加えるべきだとする反対論が多く可決されなかった。これを受けて翌1923年には国際連盟において改暦案を募集するとともに各国政府に改暦委員会の設置を求める決議が出されたが、前者は185の案が寄せられたものの、後者はフランス・イタリア・アメリカなど15か国に留まり、主要国でも日本やイギリスなどは設置しなかったため失敗に終わった。その後、1930年から翌年にかけて議論が再燃し、1830年代にイタリアのマルコ・マストロフィニが考案した案を基にした世界暦の制定を目指す世界暦協会の結成などもあったものの、ナチスの台頭、満州事変の発生などの国際情勢の緊迫化から議論は先送りされ、1955年には国際連盟を引き継いだ国際連合で再度議論が行われたものの、アメリカなどの時期尚早論に押されて翌1956年には逆に改暦議論の無期延期の決議がされるに至った。現在でも改暦を唱える人々や団体は多いが、グレゴリオ暦以上に閏年・週の扱いが簡便であると言える暦法が見つかっていないこと、ネットワーク社会・グローバリズムの進展の中で、暦における「世界の一体化」も進行すると考えられており、国際社会が共有できる改暦案が成立できない限りはグレゴリオ暦からの根本的な改暦は事実上不可能であると考えられている。
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