佐野氏改易後の佐野地域
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 06:31 UTC 版)
佐野氏の改易後、佐野地域は幕府直轄領とされた。元和2年(1616年)には本多正純領(当時小山藩主、のち宇都宮藩主)となるが、同8年に本多正純が改易されたことにより、再度幕府直轄領となった。以後、佐野地域をまとめて統治する大名は現れず、諸藩領や旗本領に分割されることとなる。 城下町としての性格を失った「佐野町」は、天明町と小屋町の2つの町として把握され、日光例幣使街道の天明宿が置かれて繁栄する。寛永10年(1633年)以後、天明町・小屋町を含む地域は彦根藩領となった。彦根藩による佐野領15か村統治の拠点として、万治2年(1659年)に堀米町に陣屋(堀米陣屋)が置かれ、以後幕末・明治維新期まで続いた。
※この「佐野氏改易後の佐野地域」の解説は、「佐野藩」の解説の一部です。
「佐野氏改易後の佐野地域」を含む「佐野藩」の記事については、「佐野藩」の概要を参照ください。
- 佐野氏改易後の佐野地域のページへのリンク