宇都宮家改易後の黒子家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 04:27 UTC 版)
「黒子 (氏族)」の記事における「宇都宮家改易後の黒子家」の解説
宇都宮家が慶長2年(1597)秀吉によって改易されると黒子氏一門の多くも職を失い浪人となった。浪人にならなかった者は宇都宮家の重臣であった(黒子主水家)だけであった。黒子主水家はその後宇都宮家に付き従い、宇都宮家代々の墓所を守る芳賀郡益子町大字上大羽鎭座綱神社の神主となった。綱神社はその後将軍家より朱印状を賜っている。明治36年(1903)に編纂された『下野神社沿革誌』には「神主は往古より黑子家なりしも近世故ありて木村氏奉仕せり社域一千七百九坪高燥の地にして古樹亭々と高く聳ひ幽邃にして山水に富むの境なり」とある。 他の黒子家は常陸佐竹家や幕府などに仕官先を求めた。宇都宮家と姻戚関係にあった佐竹家には浪人となった黒子家の分家筋(黒子民部家)が慶長9年(1604)仕官している。幕臣としては普請方に御家人として仕官した者が見られる。
※この「宇都宮家改易後の黒子家」の解説は、「黒子 (氏族)」の解説の一部です。
「宇都宮家改易後の黒子家」を含む「黒子 (氏族)」の記事については、「黒子 (氏族)」の概要を参照ください。
- 宇都宮家改易後の黒子家のページへのリンク