御家人として
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『吾妻鏡』元暦元年(1184年)2月5日条によると、源頼範に従軍し一ノ谷の戦いに参戦している。翌年の文治元年(1185年)10月24日条によると、御家人として勝長寿院の落慶供養にて布施物である馬を引く役を務めるなどし、嫡子祐綱は随兵を務めた。弓射の芸に優れており、文治5年(1189年)正月9日条には御弓始の射手として記される。 建久元年(1190年)と建久6年(1195年)の2度の源頼朝の上洛には祐信ではなく嫡子の祐綱が供奉しており、世代交代が進められていたことが伺える。『吾妻鏡』建久5年(1194年)12月15日条を最後に名が見えないため、隠遁・死去したのではないかとされる。
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