御家人として活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 16:40 UTC 版)
文献上に大胡氏が初出するのは『平治物語』で、平治の乱に大胡氏が参加しているのが見える。治承・寿永の乱では源氏方で参加したとみられ、『平家物語』には、治承4年(1180年)の源頼朝軍に集った関東各地の武将のなかに大胡太郎があり、文治元年(1185年)源範頼の九州征伐に従軍するなかに大胡三郎実秀が記載される。鎌倉幕府のもとでは御家人として活動した。『吾妻鏡』『義経記』等で将軍随兵などとして登場している。『吾妻鏡』初出は建久元年(1190年)11月7日条の大胡太郎。その後『吾妻鏡』では、暦仁元年(1238年)の大胡左衛門次郎・大胡弥四郎、寛元4年(1246年)の大胡五郎光秀、正嘉2年(1258年)の大胡太郎跡・大胡掃部助太郎といった名が見えている。
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