義経失脚とは? わかりやすく解説

義経失脚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 03:48 UTC 版)

郷御前」の記事における「義経失脚」の解説

義経都に戻って4ヶ月後の同年10月9日頼朝土佐坊昌俊差し向け義経討伐計る義経10月13日後白河法皇御所参院叔父源行家と共に頼朝追討院宣要請17日義経昌俊襲撃返り討つと、18日頼朝追討宣旨が下る。10月23日鎌倉河越重房義経縁戚である事を理由に、勝長寿院落慶供養随兵から外されている。29日頼朝義経討伐のため鎌倉から都へ向けて出陣すると、11月3日義経郎党200騎を率いて京都退去する11月12日河越重頼義経縁戚であるとして領地没収され、後に重頼・重房ともに誅殺された。郷が義経嫁いでわずか1年後の事であったこの頃の郷の動向不明だが、義経京都近辺潜伏していた文治2年1186年)に娘が誕生している事から、京都在中懐妊し、都の近辺身を隠して出産したものと推測される細川涼一は、頼朝方が義経の母常盤御前証言により岩倉捜索したという逸話注目し常盤御前郷御前岩倉大雲寺岩倉観音)に一時的に匿ってそこで娘を生ませたと推測する文治3年1187年2月10日義経陸奥国藤原秀衡頼り、郷と子ら伴い奥州赴く一行山伏稚児の姿に身をやつしていた。 文治5年1189年)閏4月30日頼朝の命を受けた藤原泰衡が、従兵数百騎で義経が暮らす衣川館襲撃義経持仏堂入り22歳の郷と4歳の娘を殺害したのち自害した平泉町金鶏山の麓にある千手堂境内に、義経妻子の墓がある。 奥州市衣川雲際寺は郷が再興したとされ、郷の守り本尊由来する伝えられる不動明王と、義経夫妻位牌安置されていたが、平成20年2008年8月6日、同寺の火災により焼失した位牌記され戒名は「局山妙好尼大姉」。 河越氏所領後家となった河越尼安堵されるが、その後生き残った郷の兄弟たち吾妻鏡記録現れるのは、父・重頼誅殺20年後である。 千手堂境内 墓石 金鶏山登山道入り口 雲際寺

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義経失脚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 03:56 UTC 版)

梶原景季」の記事における「義経失脚」の解説

景季らは後に許され鎌倉帰還しているが、義経許されることはな鎌倉近辺腰越まで来たが京へ追い返された。同年9月、景季は義勝成尋とともに頼朝使者として上洛した。目的勝長寿院供養道具求め併せて平氏残党配流朝廷促すためだが、同時に義経叔父源行家追討するよう頼朝の命を伝えることになっていた。景季は義経の邸を訪ねるが病であるとして面会断られた。一両日待って再び訪れると面会許され義経脇息にもたれ衰弱した様子で病が癒えるまで行家追討できない旨を伝えられた。 景季が鎌倉帰還し頼朝へこの旨を伝えると、父の景時は面会一両日待たせたのは不審である、食を断って衰弱して見せたのに相違なく、義経と行家は既に同心していると言上した。 その後義経と行家は挙兵するが失敗し義経奥州藤原氏のもとへ逃れるが、文治5年1189年)に藤原泰衡軍勢襲撃され平泉衣川館自害した同年7月頼朝奥州藤原氏討伐のため大軍率いて鎌倉進発。景季は父や弟たち一族とともに従軍した白河関で景季は召されて和歌献じている。頼朝大勝して、奥州藤原氏滅びた奥州合戦)。 文治6年1190年)、頼朝上洛すると景季もこれに供奉している。 建久4年1193年)、甲斐源氏安田義定の子の義資が上皇女房艶書投げ込む事件起きた女房所は後難恐れてこれを秘匿していたが、景季の妾の龍樹の前がこれを語り、景季が景時へ伝えた。景時は頼朝言上し、義資は斬首され、義定も所領没収された。 景季は有力御家人として活動し、鎌倉幕府諸行事に参列したり、奉行務めるなどしばしばその名が見える。父・景時は頼朝重用され侍所別当任じられ権勢振るった

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